セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」
を聴いて衝撃を受ける
秋元 西陣織を革新していくというか、新しいことに挑戦していこうというのは、どの辺りから躊躇がなくなってきたの?
細尾 そもそもは西陣織を海外に展開していきたい、と思ったのがきっかけですね。誰もまだやってないことへの挑戦に魅力を感じて、家業を継ごうと決意しました。私は20代前半の頃までは、プロのミュージシャンとして活動していました。中学3年生でギターを手に入れて、最初はコピーバンドをやって、段々上手くなってプロになっていくもんだと思っていたのです。でも、他人の曲をコピーすることに興味が全然持てなかったのです。そんな中、高校1年生のときにセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を聴いて、衝撃を受けました。
秋元 どういう衝撃?
細尾 つまり演奏の上手い下手ではなくて、ギターをかき鳴らして叫ぶことでも音楽って成立するんだな、と(笑)。
秋元 およそ西陣織とは結びつかなさそうな、凄いところへ行っちゃっているね(笑)。
細尾 そうですね。それまでの私は「音楽はプロがつくるものだ」という固定観念にとらわれていたんだと気づきました。でも、情熱をもって何かをすれば、誰でも自分たちでオリジナルはつくれるんだと。そこからオリジナルのパンクバンドをはじめました。コピーバンドはつまらなかったですけど、これにはとても夢中になり「音楽を生業にしよう!」と思ったのです。自分が固定観念を打破できた、初めての体験が、このセックス・ピストルズとの出会いでした。
秋元 技術とかテクニックではなく、とにかく自分たちが今一番リアルに思っていることをダイレクトに伝えればいいんだ、みたいな。そこがアート的な原体験なんだね。
細尾 そうですね。今から思えば、カウンターカルチャーにすごくピンとくるところがありました。セックス・ピストルズもやっぱり、イギリスという階級社会へのカウンターカルチャーですよね。
秋元 非常に古いカルチャーがある中で、そういうものが出てきた。
細尾 同じく高校生の頃、裏原系といわれるストリートファッションにも惹かれていました。ファッションブランドの「UNDERCOVER」とか、「A BATHING APE」とか、それまでのメインストリームじゃないところから出てくる、何かそういう革新の部分に惹かれていたんですね。