30万円のテレビが10万円で売られていたら、「お買い得だ!」と思いませんか。その「お買い得」という感覚が、じつは社会全体を貧しくする一因になっている、と言われたら、どう思うでしょうか。新刊『お金のむこうに人がいる』に発売まもなく続々重版が決まり注目を集める元ゴールドマン・サックス金利トレーダーの田内学氏が、「価格」という価値に潜む罠と、その罠をかいぐぐる方法を伝えます。(構成:編集部/今野良介)

お金に振り回される人がハマる「バーゲンセールの罠」そろそろ、新春セールの季節ですが。 Photo: Adobe Stock

日々の暮らしにお金は欠かせません。

私たちは、お金を使うとき、常に「損得勘定」をしています。

次の4択問題を考えてみてください。

Q. 
いつも1000円で売られている高級ジュースがある。

ある日、そのジュースが500円で売られていたので、買って飲んだ。

ところが、夕方になって、そのジュースは300円で売られていた。

このとき、あなたはどれだけ得をしたのだろうか?

a. 500円得をした
b. 200円損をした
c. 損も得もしていない
d. その他

お金について学ぶ講演をさせてもらった時に、学生100人にこの問題を出しました。

すると多くの回答はaとbに集中しました。残りの人も、ほとんどがcを選びました。

しかし、正解はdです。

あたりまえだと思われるでしょうですが、「ジュースが美味しいかどうか」で損得は変わります。定価1000円のジュースが500円で飲めても、美味しくなければ意味がありません。

だけど、私たちはつい、このあたりまえを見失うことがあります。

たとえば、高級なワインを飲んだときに、「まずい」という感想を漏らすには勇気がいります。「あなたの味覚がおかしいんじゃないの?」と思われないように、しぶしぶ「さすが、高級ワインは違うなあ」と言った経験がないでしょうか。わたしにはあります。

「価格」が社会共通の価値であるかのように勘違いしてしまうのです。

「経済的価値」とは「商売人の価値」である

私たちは、とかく「価格」という価値に囚われがちです。

一般的に、お金には、3つの機能があると言われています。

1. 価値の保存機能
2. 交換機能(決済機能)
3. 価値の尺度機能

(※全国銀行協会ホームページより)

3番目の「価値の尺度機能」は、経済的価値を測るときに使われます。たとえば会社の帳簿をつけるとき、1万円で仕入れたものには「1万円の経済的価値がある」と考えます。会社の会計も、経済活動の大きさを表すGDPを測るときも、この経済的価値が使われます。

しかし、この経済的価値は、消費者にとっての価値ではなく「売る側にとっての価値」です。

その証拠に、あなたはスーパーで、同じ価格で並んでいる同じ果物の中から美味しそうなものを選ぶのではないでしょうか。傷んでいるイチゴではなく、美味しそうなイチゴを選ぶのではないでしょうか。もし、経済的価値で判断するならば、どれを選んでもいいはずなのに。

消費するときの価値は、価格ではなく、「消費したときの満足度」です。

そして、それはお金では測れないものです。

バーゲンセールの罠

私たちはしばしば、「価格」という経済的価値に惑わされます。バーゲンで売られている「5万円」の洋服がお買い得かどうかを考えるときに、元の定価を確認しようとします。そこに「10万円」と書かれていれば、得をした気になるでしょう。

消費者がこの罠にハマってしまうと、売る側の思うツボです。洋服でもどんな商品でも、5万円の商品を売りたいときに、10万円という値札をつけて、それを上から消して5万円にすればいいからです。10万円の価値があると思い込ませてから半額にすれば、「お買い得」だと信じてくれるのですから。本当にお買い得かどうかは、買う人が「5万円」と「その商品の満足度」を比べないといけないはずなのに。

消費者がこの罠にハマると、じつは、社会全体が困ることになります。

「あなた自身の幸せ」の定義が、「社会の幸せ」につながる。

たとえば誰かが「行き過ぎた資本主義社会に問題がある」と主張するとき、わたしは、自分を含まない「社会」に責任を押し付けていないだろうかと首をかしげたくなります。お金の流れ(GDP)の半分は、消費活動によって生み出されます。高い値札が付いたものに価値を感じて、それを「安く買うことをお買い得」と感じる消費者が多いと、安い価格で満足度が高い商品を作ろうとしている生産者は生き残れません。生き残るのは、宣伝費や広告費を使って商品を高価に見せる生産者であり、満足度を考えずに安い商品を作る生産者です。

仕事をしている限り、私たちは消費者であると同時に生産者でもあります。つまり、消費者としての態度やお金の使い方が、生産者としての自分に少なからぬ影響を及ぼすことになります。

たとえば、「給料」です。消費者にとってのお買い得の定義が「値札の価格より高い満足度を得ること」ではなく「値札の価格より安く買うこと」であれば、生産のためのコストは削られます。そうすると、生産者である私たちの給料が下がっても文句は言えません。

「仕事のやりがい」にだって影響します。消費者が自分の満足度よりも値札に価値を感じていると、生産者の努力は、「消費者を幸せにすること」から「高い値札をつけること」に変わります。人のことを考えない仕事にやりがいを感じるのは難しいものですから、「仕事はお金儲けの手段だ」と割り切る人が増えていきます。

「社会全体が幸せになる」という状態がどんなものなのか、私にはハッキリとはわかりません。ただし、少なくとも、一人ひとりが、「価格」という経済的価値に振り回されることなく、「自分は何に幸せを感じるのか?」という自分自身のモノサシを持って消費するようになる先にしか、訪れないものだと思っています。

たとえば、その幸せの中に「自然の豊かさ」も入るのであれば、あなたの消費が、自然を破壊するような生産活動を減らすことにつながっていくはずです。