“気づき”を介した他者とのつながりについて
「みんな同じ」であることが前提の同質性の高い集団では、いっそう「暗黙の標準」が人間関係を支配する。「暗黙の標準」に支配され、見えない壁からはみ出ないように神経をすり減らさなければならないのは、確かにしんどい。しかし、透明な壁が見えるようになったら、少しは抵抗のしがいもある。異質性の高い他者と出会うことは、「暗黙の標準」の存在に気づく近道になる。
現在、私が力を入れて取り組んでいる教育実践のひとつに、「神戸大学 学ぶ楽しみ発見プログラム」(通称KUPI)がある。学校教育法に位置づく特別の課程として、知的障がい者に大学教育を開く実践であり、後期に週3日、10名ほどの知的障がい者が大学の教室に学びにやってくる。
私は、担当する通常の授業にKUPIの学生を招き入れ、一般学生と知的障がい学生が学び合う状況をつくっている。この授業でのねらいは、自己と他者について深く考え、社会への関心を深めるところにあり、そのために、一般学生と知的障がい学生の経験を交差させることに力点を置いている。
そのKUPIの授業で、一般学生と知的障がい学生がペアになって「ライフストーリー」を語り合うという実践をしたことがある。
授業を仕掛けた側の意図は、両者の経験の違いをお互いの気づきと学びにつなげようとするところにあった。自分のことを話すことができるまでに時間がかかった人もいたが、時間をかけて語り合う時間をもつことで、相互理解につながっていった実感がある。とはいえ、一般学生も知的障がい学生も、心に残ったのはお互いの経験の違いよりも、同時代を生きる青年としての共通性だったようだ。知的障がい学生の中には、“(一般学生と語り合って)僕みたいに運の悪くてダメな人もいることが分かりました”とか、“男性同士だと共感できることが多かったです”といった感想が聞かれた。関係が深まるにつれ、知的障がい-非知的障がいという枠組みではなく、ダメな人同士とか同性同士といった両者をくくる別の枠組みが浮上してきたようだ。
この授業を経験した一般学生が書いた記録を紹介しておこう。
“KUPI学生の経験の内容が、本人から詳しく聞いても想像もつかないような状況や感情だった場合に、うまく対応できるのか心配だったのですが、KUPI学生が傷ついた経験は人間関係や所属する場の規則等に原因があることが多く、自分と大きく異ならないことに驚きを感じました。”
“私の人生においてマイナスイベントは受験失敗、浪人であった。自分の不安は「浪人すること」など、大多数や「普通」から外れてしまうということであるが、(KUPI学生たちを前にすると)その「普通」は必ずしも普通ではなく、すごく自分が何かにとらわれていてフィルターのかかった人間であるように感じた。”
同世代を生きる若者として、一般学生と知的障がい学生には相互理解の糸口はたくさん存在した。知的障がい学生と自分の経験の類似性と差異を感じ取ることによって、学生たちは自分自身が囚われている枠組みに気づいたことを、実感を込めて語るようになっていく。他者の抱える問題と自分の抱える問題の間につながりを発見し、自分の中に閉じ込めていた問題が他者に向かって開かれる。そしておそらく、自分の内面の希薄さが、意味のある自分によって少しだけ満たされる。
KUPIについては、詳細な報告書も刊行しているので、ホームページ* を参照いただきたい。