ダイバーシティ&インクルージョン時代のやさしい感性

 既に企業から内定をもらっている4年生のI.Eさんに、大学での学びについて語ってもらった。彼女は、1年生から学園祭の実行委員として活躍し、2年生の途中からは、地域で多様な背景や属性をもつ人たちが集まる居場所づくりの実践に足を運び、また、KUPIで知的障がい学生と一緒に学ぶなど、さまざまな人と関わる活動を通して学んできた学生である。

 そのような活動に参加してきた背景を尋ねたところ、I.Eさんは次のように答えてくれた。

“小さい頃から、お祭で人が楽しんでいるのを見るのが好きだったんです。お祭は、周囲の空気を読んだりする必要もなく、自分のペースで楽しめるところだと思うんです。そういう場をつくることに貢献したいと思って活動を選び、参加してきました。”

 私がI.Eさんの活動の様子をみて特徴的だと感じるのは、躊躇なく相手の懐に飛び込んでいって関係を築く彼女のコミュニケーションスタイルである。知的障がいのある青年に対して、同年齢の友だちに対するのと変わらない口調で語りかける。青年たちはそんな彼女の隔たりのなさが心地よいようである。

 さらに、I.Eさんに、人の楽しみを生み出す活動を継続してきて自分自身に起こった変化について尋ねてみた。

“自分の行動が誰かに影響を与えるということの意味を考えるようになって、責任というものを知ったことかなと思います。この人は右の耳が聞こえにくいから左側に回って話しかけようとか、音がたくさんある場所の苦手な人がいるときには音に気を遣うとか、細かいことに意識が回るようになったと思います。それと、苦手なことのある人のことを知っていくうちに、自分にも苦手なことがあることに気づいてそれを受け容れることができるようにもなりました。”

 他者のまなざしから自由になることに価値を置いてきたI.Eさんが、各人のペースで生きられる社会を追い求めた結果、自己と他者に対する繊細な感受性と寛容性を手に入れたようである。人間の多様性は無条件に肯定されるべきものであるが、「暗黙の標準」に縛られていると、往々にして私たちはその多様性を踏みにじってしまう。そのことに気づいたI.Eさんは、「責任」という言葉で、人間の多様性を肯定する態度を表現してくれたのだと思う。他者との関係にとても敏感なやさしさをもつ若者たちが示してくれる感性は、ダイバーシティ&インクルージョンの時代に生きる新しい感性なのかもしれない。それは、特定の人たちを一方的に気遣い配慮するようなものではない。そうではなく、多くの人が、自己と他者の状態に対する感受性を高め、その状態に呼応して行動や態度を調整することで、多様な人たちが対等な関係の中で共に生きることができる感性である。

 生きづらさを抱えるやさしい若者たちが、これからもどんどん就職していく。人事担当者や管理職たちは、悩める若者たちの育成に戸惑う日々が続くことだろう。

 時代の特徴を反映する若者たちの特性は、弱点にもなりえるが、条件が整えば時代を切り拓く武器にもなる。その武器は、容易に相互理解できない他者、多様な能力をもつ他者を生かしながら、自分も生き、一緒に前に進むことができる力を持ちえることだと思う。しかし、「暗黙の標準」に縛られることで、若者たちは本来の力の発揮を邪魔されている。この束縛から解放してくれるのは、社会が多様な人たちによって成り立っていると実感し、いろいろな人とのつながりの中で自分自身もまた社会を成り立たせているのだと実感する経験ではないだろうか。

 一歩前を生きる世代は、若者たちに、自分自身を囲い込んでいる「普通」の枠から自分自身を解放できる出会いをたくさん提供することが大切だと思う。そうすれば、若者たちは「生きづらさ」に挑みながら、自ずから、現在(いま)よりもっとバランスのとれた未来を創造していくに違いない。

挿画/ソノダナオミ