アルコール依存者たちが
運転している現実

 前述した99年の東名道事故では、運転手がフェリーやサービスエリアでウイスキーや酎ハイを飲み続け、事故当時はまっすぐ立っていられないほど酔った状態だったとされる。八街市の事故でも、梅沢被告は公判で「飲酒運転はいけないことという認識はあった」のにとめられず、飲酒運転の常習だったことが明らかになった。トラックからは、事故以前に飲んだとみられる酒の容器も見つかっている。

 これは「自分の意思で飲酒をコントロールできない」「目が覚めている間、常にアルコールに対する強い渇望感がある」という、典型的なアルコール依存症のパターンだ。

 筆者は地方で警察担当だった記者時代、飲酒運転事故の取材で警察官から「車の中からビールの缶がゴロゴロ出てきた」「ありゃアル中(注:アルコール中毒。当時は依存症=病気という認識が乏しかった)だな」と聞いたことがある。

 実は車内から酒の容器が出てきたと聞いたのは、一度や二度ではない。つまり、運転の合間に飲酒したのではなく、飲酒しながら運転していたわけだ。こんなドライバーに命を奪われたり、大けがをさせられたりしたのでは、たまったものではない。アルコール依存症は「不治の病」とも言われるが、そもそも運転うんぬん以前に、しかるべき診察を受けてほしいと思う。

 新型コロナウイルス禍が一応の落ち着きを見せ、飲食店で規制されていたアルコールの提供も解除された。これから忘年会シーズンを迎え、親しい方々との楽しい宴席も増えると思う。

 これまで筆者が公判の傍聴などを見てきたところでは、飲酒運転による死亡事故の場合、被害者遺族の怒りと悲しみはかなり苛烈なものだ。加害者側も実刑は不可避で、賠償金も数千万円単位で背負うことになる。

 たかだか千数百~数千円の運転代行やタクシーの代金をケチって他人の命を奪っていいはずはないし、自分の人生を棒に振っていいわけもない。被害者遺族の慟哭(どうこく)、加害者の後悔を目の当たりにしてきた立場としては、言い尽くされた言葉だが「飲んだら乗らない」を切にお願いしたい。