中国人が寂しく感じた五輪開会式、過去の栄光に縛られた日本の「黄昏」Photo:VCG/gettyimages

1964年の東京五輪で中国が抱いた思い

 新型コロナウイルスの影響で、丸1年開催延期を強いられた東京オリンピックが、ついに開幕した。半年後に、2022年北京冬季オリンピックの開幕を控える中国は、感染拡大の懸念があるにもかかわらず開催に踏み切った日本に対して、非常に高い関心を示している。

 しかし、感染者数が伸び続けている日本の現状では、中国は東京に多くのメディア関係者を物理的に送り込むことはできない。そのため、インターネットでの「直播」(ライブ配信)や「小視頻」(動画配信)がメインとなっている。

 開会式の翌日、つまり7月24日の夜、私は、神戸在住の作家・毛丹青さんと、日本で活動する中国出身のタレント・段文凝さんと一緒に、中国最大のSNSであるWeiboのライブ配信番組に出演した。20万人以上が視聴していたようだ。ライブ配信の話題は主に開会式に対する印象、コロナ問題、日中文化に集中していた。そこで自然と1964年の東京五輪との比較も話題になった。

 私は、1955年~1973年までの高度経済成長期の中間点にある東京五輪の開催は、日本国民に一層の自信を持たせたとみている。

 そのもっとも分かりやすい事例は、日本が世界に誇る「新幹線」だ。1964年10月10日に開会した東京五輪だったが、その直前の10月1日に開通している。当時、東京〜新大阪間を、時速210km、3時間10分で結ぶ「夢の超特急」プロジェクトは、開発から工事までわずか5年3カ月という短期間で成し遂げられ、日本の驚異的な努力を誇り高く世界に見せつけた。1978年、日本を訪れた鄧小平は新幹線に乗ったとき、「背中を押された」思いがしたという。そして、「日本に追い付け、日本を追い越そう」という決意を固め、毛沢東の計画経済時代との決別を意味する改革・開放路線の実施に踏み切った。