教養は「世の中に対する漠然とした恐怖」を晴らす鍵だった

あなたはどう生きるか?悩み多きビジネスパーソンへ捧ぐ、「教養」を身につける方法【山口周×堀内勉×篠田真貴子】山口周(やまぐち・しゅう)
Independent Researcher。1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著作家・パブリックスピーカーとして活動。著書に『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)等。

篠田:堀内さん、ありがとうございます。じゃあ今度は山口さんにも、働くなかで直面した人生の課題についてと、そのときに教養がどうリンクしていったのかを伺いたいと思います。

山口周氏(以下山口):働くなかでというのは、僕はあんまりなかったですね。堀内さんが体験されたような、人格がグラグラするような危機的な状態は。おそらく一番やばいアイデンティティクライシスがあったのは中学から高校に入った頃ですね。常に「生きづらいな〜」って感覚があるんですよ。いまだにその状態がずっと続いてるんですけど(笑)。

 僕、父親が興銀で働いてたんですね。だから堀内さんの話と同じタイミングだったと思うんですけど、家に電話がかかってきたんですよ、新聞社から。夜の11時とかに「お父さんに話を聞きたい」って。その電話が終わったらまた別の新聞社からかかってくるもんだから「父はいません」って伝えると、「さっき○○新聞さんと話されてましたよね!」とか言われるんですよ。……すごい怖いなぁって感覚がありましたよね、世の中っていうものが。

 ほかにも、小学生のときに「生命保険ってめっちゃ怖くないか?」って思ったりとかね。生命保険って、紙一枚で契約して何十年も積み立てますよね。そんなの「ごめんなさい、あの紙なくなっちゃいました」って言われたらパァじゃないですか。ってことをお袋に話したら「大丈夫よそんなの! あんた変わってるわね〜」で終わっちゃいましたけど(笑)。

 中学生になったあとぐらいから、そういう社会への不信感みたいなものがひどくなって、逃げた先のひとつがロック。ビートルズでしたね。で、もうひとつの逃げ先がニーチェだったんです。「この人は本当のことを言ってる」というのを探していったら、自然と、音楽とかアートとか、哲学、文学にたどり着いた、という感じですね。

篠田:さっき「働くなかで」って言ってしまいましたけど、山口さんの場合はティーンエイジャーのときに抱いていた世の中に対する不信感が、最も切実なテーマだったんですね。

山口:今は随分よくなりましたけど、当時は下手すると衝動的に命を捨ててしまいそうな危ない状況でしたからね。だから、わらをもつかむ思いで本を読んでました。「学校の授業なんて聞いてる場合じゃない!」と思って。

篠田:ちなみに山口さんは、本を読むだけではなく、アウトプットもかなり精力的にされていますよね。本を出されるずっと前から『Arts & Science』という非常に読み応えあるブログも書いてらっしゃいました。こういったアウトプットは、どんな思いでされてきたのでしょうか?

山口:そうですね。やっぱり一回言葉にしないとつかめないと思うんです。僕、数学が好きなんですけど、読書と数学って似ていると思っていて。数学って「わかった!」って瞬間が気持ちいいんですよね。でも、一度は理解できたと思っても「じゃあ今の証明を最初から自分で書いてください」って言われると書けなかったりする。「ここなんか飛躍してるなぁ」とか、「こことここってなんでつながるんだっけ」とか。そういう“わかってないこと”が、書くとわかるんです。

 これは2段ロケットのようなもので、最初の「わかった」で1段目のロケットに、書いてみてわからないことが「わかった」瞬間に2段目のロケットに点火するんです。で、2段目のロケットが出るときに、とてもユニークな自分の中への血肉化が起きるんですよ。そうするといつでもその記憶が取り出し可能になるし、いろんなところに適用できる普遍性を持つようになると思うんですよね。

篠田:さっきの話ともつながってきますけど、山口さんの中で「わかった」という実感を持つことが、世の中と自分をうまく接続させる役割を担っているのかなと感じました。ありがとうございます。