大河ドラマ「青天を衝け」をきっかけに、渋沢栄一とともに注目を集めた明治初期の経済人・五代友厚。その五代が、参議・大隈重信と非常に親しかったことはあまり知られていない。実は二人の信頼関係は厚く、かつて独断専行の気があった大隈を、五代が手紙で諫めたこともあった。大隈を寛容な気質に変えたという、その手紙はどのようなものか。(ジャーナリスト 桑畑正十郎)
五代友厚の知られざる逸話
大隈重信を諫めた忠告
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の「維新三傑」や坂本龍馬ら、幕末維新を彩るビッグネームに比して、五代友厚や大隈重信は名前を知っていても、さほど注目されてこなかった。もちろん、大阪の経済復興といえば五代だったし、早稲田大学の創始者と言えば大隈ではあったが、これまで華々しい物語にされてこなかったためか、振り返られる機会も少なかった。
大河ドラマ『青天を衝け』で、俳優・大倉孝二の“であーる”連発の演技も話題となった大隈重信は、今年2022年が没後100年の区切りでもある。出身の佐賀県や早稲田大学などでもイベントが企画されており、見直しの気運も高まっている。また、ドラマ中にも描かれていたが、大隈宛てに、五代友厚が送った忠告書は、五代の名言の一つに数えられるものだ。