それは料金に含まれているのかもしれない
そこまで言われて、私はやっと気がついた。
ガールズバーに来るおじさんたちが払うお金の中には、「女の子を採点する代」も入っているのかもしれない、と。
女の子を見下し、比べ、「ブス」と言われた方が「もお、ひど~い」とキャピキャピ言うところまでが、ガールズバーに来るお客さんが払うサービス料に含まれている(あるいは、含まれていると無意識的に認識されている)のである。
「女を比べて、評価する」ことそのものをコンテンツだと思う人もたしかに、存在するのだ。恐ろしいことに。
なぜ、女の子と話すためだけに高いお金を払う人がいるのだろうと思っていたけれど、もしかしたら、人を見比べ、点数をつけることそのものが、あるいはエンタメになっているのかもしれないと気がついたのだ。
普段、仕事をし、社会で生きていると、常に周りから「評価」されるという宿命からは逃れられない。
仕事ができる/できない、いいやつ/悪いやつ、有能/無能、誠実/不誠実、とか。
日々、評価されるのは疲れる。気が滅入る。
あるいは、普段「評価」される側にいる自分から逃れたくて、一時的にでも人を合法的に「評価」できる側になるためにお金を払いたいという下心もどこかに存在するのかな、と私は思った。
「どこからがセクハラなのかわからない」という話をよく聞く。「髪切った?」と言っただけでセクハラ扱いされた、もう何を言っていいのかわからない、という意見もある。私はそういうのを見て「たしかに、セクハラだと感じる境界線ってどこにあるんだろう?」と考えていた。
もちろん、体を触れられたり不倫に誘われたりするのはどう考えてもセクハラになるとして、私は男性たちから投げかけられる何に対して嫌だと思っているのだろう? と。
これはあくまでも私の個人的な憶測に過ぎないけれど、あるいは多くの女性が強烈に「嫌だ」と思うのは、比べられ、品定めされ、「お前は○点くらい」と評価されることなのかもしれないと思った。
仕事でさえ評価されることからは逃げられないのに、仕事とは関係ない、「女」的なところでまで点数をつけられたくないのである。
私はガールズバーで、ひたすら比べられ、「かわいくない」と言われ、「あおいちゃんの方が上」と言われていた。盛り上げ役になることを求められた。品定めされた。
点数をつけられて「ひど~い」と言い続けなければならない状況はものすごいストレスだったし、今もう一度あそこで働けと言われても、どう頑張っても無理だろうと思う。