感動小説『精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方』の著者が、voicy「精神科医Tomy きょうのひとこと」から、とっておきのアドバイス。心がスッと軽くなる“言葉の精神安定剤”で気分はスッキリ、今日がラクになる!
“愚かなお人好し”にならないために
きょうのひとことは、
「自己犠牲はヒーロに任せておきなさい」
世の中には、「人助け」とか「善意の施し」みたいなことが頭に染みついて、それが自分の行動指針になっているような人がいます。
自分の利益よりも他人の利益を優先して行動する人は、とてもありがたい存在ではあるし、その行動自体は否定されることでもありません。
ただし、あくまで自分が人を助けたいと思ったとき、役に立ちたいと思ったときだけやればいいことなのです。
そのときの自分の意思に反して、本当はやりたくないのに、「人助けするべき」だとか「善意を施さなければ」というような義務感に縛られて行動してしまう。
これはいわば、自分を潰して人を助けるという「自己犠牲」です。
いつまでも続けられるものではありませんし、自分のことを犠牲にしていると反動がくるものです。
いずれ、「なんのために、こんなことをやってるんだろう……」という壁にぶつかってしまいがちでもあります。
もちろん、人助けはいいことです。しかし、心の奥に自分がそうしたいという気持ちがなければやるべきではないし、やってはいけないことです。
自分の気持ちを捨ててまで誰かを助けるというのは、身も心も持ちませんし、続けられないからです。
長い目で見ると、自己犠牲というのはよくないことなのです。
「人助け」や「善意の施し」と、「自己犠牲」はまったく別の話で、セットにすることではありません。
一方で、自己犠牲をして人を助けるというのは、一種のロマンが感じられることでもあります。
ただし、それは現実世界に求めるのではなく、アメリカのコミック『マーベル』に出てくる「アイアンマン」「スパイダーマン」「アベンジャーズ」といった架空のヒーローに求めるべきことです。
コミックのヒーローみたいなことを現実世界であなたが演じることはできませんし、演じる必要もないのです。
現実世界で実現できないからこそ、コミックのなかのヒーローが魅力的に映るわけです。
現実世界で自分を犠牲にして人助けをしようと思っても、身も心も持たないのですから、すぐに力尽きてしまいます。
大切なことは、「自分がやりたいかどうか」ということ。
繰り返しますが、人助けはいいことなのですが、自分がやりたくないのに、楽しくないのに、面白くないのに、よいことだからやるべきだといって、自己犠牲をともなって行動することは、やめておきましょう。
そこは開き直ってもいいですからね。自分自身がよりよく生きることが、まわりの人に希望を与えるというふうに思ってください。
きょうのひとことは、
「自己犠牲はヒーロに任せておきなさい」
でした。
参考になったかしら?