◆ローマ帝国拡大の中で
◇ローマの貴族

 ローマの貴族は「パテール(父親)」を語源とする「パトリキ」から始まったとされ、家柄が重視されていたが、次第に、平民でありながら国家の要職に就く人が増えていく。そうして、選挙で公職に選ばれた平民の中でも、富を蓄える者が現れはじめた。この新たな貴族が「ノビリタス」だ。ローマでは血筋と同じくらい、帝国の拡大を支える財力が重視されており、由緒正しきパトリキであっても財産がなければ公職に就けなかった。元老院は、こうした権威と財産を持つ貴族により維持され、その力を保っていたのである。

 共和政ローマは、巨大な帝国になってからも「チープガバメント(小さな政府)」で運営されていた。国土の拡大とともに属州に派遣されたわずかな数の役人たちは、自分の手足となって働く人をポケットマネーで雇い、実務を分担させたのだ。

 こうした統治法の基礎となったのが、「パトロヌスとクリエンテス」という貴族と平民の従属関係だ。財力のあるパトロヌスに、多くのクリエンテスが従うことになる。これは最終的にはローマ皇帝を頂点とする従属関係を構成し、事実上、ローマの統治機構を支えていた。

 ローマでは、裕福な貴族は社会資本としての役割も担っており、公共事業は貴族のボランティアでおこなわれることが多かった。その人件費も当然裕福な貴族が個人的に負担していた。この習慣は、現在も欧米に息づく「ノブレス・オブリージュ(高貴な者は義務を伴う)」、寄付やボランティアへの援助の慣習へと受け継がれているといえよう。

◇ローマの市民権と奴隷

 ローマは、戦争で勝利を収めることで属州支配を広げ、ついにはイタリア全土の市民にローマ市民権が与えられるようになる。ローマにおける市民権はそのまま国民の証でもあった。男性の市民には兵役の義務が課せられ、その代わりに選挙権・被選挙権が与えられた。また、男女ともに結婚権や財産の所有権などが認められている。このような権利は、ローマ市民法により規定されていた。なお、ローマ市民ではない人に適用された法律を万民法という。万民法では、子どもの身分は母親の身分が受け継がれると定められていた。

 戦争を伴う領土の拡大は、大量の奴隷もローマにもたらした。当時の人々は奴隷を「言葉を理解する家畜のようなもの」と捉えていた。ローマにおける奴隷の人口比率は2割程度。ローマの労働力として欠かせない存在となっていったが、虐げられた奴隷が反乱をおこすことも少なくなかった。なかでも最大規模の奴隷戦争が「スパルタクスの反乱」だ。わずか70人規模の小さな反乱が、10万人とも言われる大反乱となりローマ人を苦しめた。