この反乱がよほどこたえたのか、これ以降奴隷の報酬を増やすなど、過酷だった待遇に配慮が加えられるようになった。

 元老院にアウグストゥス(威厳ある者)の尊称を与えられた初代皇帝オクタウィアヌスの治世からおよそ200年間を、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ぶ。この時期以降は奴隷の反乱も著しく減っているが、その理由は奴隷が戦争捕虜から「捨て子」に切り替わったからであると考えられる。拡大戦争が減る中で、捨て子から教育された奴隷が新たな供給源となったのだ。主人に対する反抗心を持たず、むしろ強い忠誠心をもつ奴隷もいた。

【必読ポイント!】
◆ローマの繁栄と滅亡
◇パクス・ロマーナ

 初代皇帝オクタウィアヌスの死後、ローマは3人の悪しき皇帝の時代を経験する。彼らは、それぞれの性格から愚帝カリグラ、暴君ネロ、悪帝ドミティアヌスと呼ばれた。それぞれ、桁外れの散財や残忍な処刑、身内の殺戮などをおこなっている。その後に訪れるのが、「パクス・ロマーナ」の黄金期ともいわれる五賢帝の時代だ。彼らが治めた85年間こそ、多くの人がローマと聞いたときにイメージする、豊かで華やかな、そして活気に満ちた時代なのだ。

 帝政の時代に入ってから、皇帝が民衆に分け与えたのが、「パンとサーカス」である。パンは支給される穀物を指すが、サーカスとは民衆を退屈させない見世物のことをいう。この時代、相次ぐ戦争で放置された農地を多くの奴隷を従える富裕層に売却した人々が、無産市民となりローマに流れ着いた。市民権すなわち選挙権を持つこうした人々からの票集めのために、有力な元老院貴族たちが穀物の支給を始めたのである。皇帝はこの慣習を引き継ぎ、恒常化したにすぎない。

 なかでも、集団を満足させるサーカスは人々を熱狂させ、権力者は競うように興行を催した。特に剣闘士試合は人気があった。円形闘技場であるコロッセオが建設され、人類史上、唯一公認された殺人競技がおこなわれた。

 ローマ人がこよなく愛したもう1つの娯楽が、漫画『テルマエ・ロマエ』で有名になったローマの公衆浴場「テルマエ」だ。数千人もの人が入浴できる巨大浴場が次々と建設された。しかし、公衆浴場の文化はヨーロッパに根付くことはなかった。大量の水の確保が難しく、次第に給水量が減少して、ローマの衰退とともに公衆浴場は失われていったのだ。