メール、企画書、プレゼン資料、そしてオウンドメディアにSNS運用まで。この10年ほどの間、ビジネスパーソンにとっての「書く」機会は格段に増えています。書くことが苦手な人にとっては受難の時代ですが、その救世主となるような“教科書”が昨年発売され、大きな話題を集めました。シリーズ世界累計900万部の超ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トッププロのライターである古賀史健氏が3年の年月をかけて書き上げた、『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』(ダイヤモンド社)です。
本稿では、その全10章99項目の中から、「うまく文章が書けない」「なかなか伝わらない」「書いても読まれない」人が第一に学ぶべきポイントを、抜粋・再構成して紹介していきます。今回は、論理的文章を成り立たせる「3つの構成要素」について。

「論理的文章」を形成する3つの要素とは?Photo: Adobe Stock

その論は、
理にかなっているか?

 論理的であるとは、どういうことでしょうか。

 ひと言でいえば、「論が理にかなっている」ことです。

 ここでの「論」とは、みずからの主観に基づく考えの総体のこと。系統立てて述べ語られたみずからの考え、主張や思いのことを、ひとまず「論」と呼びましょう。仕事論、恋愛論、人生論、ポップミュージック論、石川啄木論。その他さまざまな「○○論」は、要するに「わたしはこう思う」の話であり、語り手の主観です。

 一方の「理」とは、客観です。誰の目にも明らかな客観的事実、実例、史実、またそれらの積み上げを指します。

 つまり、みずからの主観に基づく論が、なんらかの客観(理)によって裏打ちされたとき、その言説は「論理的」な文章となるのです。

 論理的ということばには、ひたすら理屈をこねくりまわすような印象があるかもしれません。しかしその認識は、間違っています。論理的な文章の基本構造は、主観と客観の組み合わせ、それだけです。コインの表側に主観があり、裏側に客観がある。主観だけで語らず、客観(ファクト)の羅列に終始せず、主観と客観が分かちがたいものとして結びついている。それが論理的な文章の正体なのです。

 このあたり、もう少し具体的に見ていきましょう。

 主観と客観の組み合わせは、次の三角形(三層構造)で考えるといいでしょう。

「論理的文章」を形成する3つの要素とは?【論理的文章の基本構造】
論理的文章は「主張」と、そう訴える「理由」、さらに理由を下支え(裏づけ)する「事実」とで構成される

三角形の頂点にくるのは「主張」

 論理的文章の三角形、その頂点にくるのは、あなたの「主張」です。

 言いたいこと、伝えたいこと、知ってほしいこと、そして賛同してほしいこと。その文章を通じて、自分はなにを言いたいのか。読者になにを伝えたいのか。むしろ自分はなにがしたくて、なにをめざして、その文章を書いているのか。ここがあいまいなまま語ったところで論理的な文章たりえず、読者にはなにひとつ伝わらないでしょう。

 また、ここで述べる主張とは、道徳的・倫理的に「正しいもの」である必要はありません。「日本でも拳銃の所持を認めるべきだ」とか「子どもへの体罰を認めるべきだ」といったあからさまな暴論だって、論理的に語ることはできます(だからこそディベートが成立します)。倫理的な正しさと、論理的な正しさは、まったくの別物なのです。

「理由」なき主張は、
思いつきに過ぎない

 論理的文章の三角形、二層目にくるのは「理由」です。

 たとえば、あなたが「すべての会社は週休三日制を導入するべきだ」と訴えたとします。おもしろい意見ではありますが、おそらく周囲は「なぜ?」と訊いてくるでしょう。

 なにかを訴えるとき、同意を求めようとするとき、そこにはかならず「そう訴える理由」が必要になります。端的にいえば、「すべての会社は週休三日制を導入するべきだ。なぜなら……」と引き継ぐことが求められます。自分はなぜ、そう思うのか。どんな理由があって、そう訴えているのか。理由のない主張は、ただの思いつきです。「なぜなら」の先まで語られてはじめて、その主張は「論」となります。論じることとは、主張の背後にある理由を指し示すことなのです。

論は「事実」によって
下支えされる

 論理的文章の三角形で、主張と理由を下支えするもの。それが「事実」です。

 みずからの思いを述べ、そう訴える理由を説明したところで、それはあなたの主観を述べただけに過ぎません。「すべての会社は週休三日制を導入するべきだ。なぜなら日本人は働きすぎている」では、独善的な訴えに過ぎないでしょう。その主張がひとりよがりな訴えでないことを示すには、なんらかの客観(たとえば主要先進国との労働時間や有給休暇消化率の比較データなど)を差し挟む必要があります。ここでの客観とは、ひとえに「事実」です。一例を挙げるなら、次のような流れになります。

[国会は、ナイター制度の導入を検討するべきだ(主張)。平日の昼間に国会中継をおこなっても、仕事や学校のある現役世代は視聴できず、政治に関心を持ちえない(理由)。実際、プロ野球やプロサッカーも、平日はナイター開催を基本としている(事実)。常に国民の目に晒された状態であれば、国会審議にも熱がこもるだろう(結論)。]

 主張から理由までは、ただの主観的意見です。読者からすれば、「あなたがそう思っているだけ」とも言えます。しかし、そこに客観的事実が加わってくれば、ただの主観的意見ではなくなります。なんらかの論拠を持った、一考に値する意見となります。理由や事実の提示を受けて、主張を発展させた「結論」を述べるのもいいでしょう。

論理的文章を
「おもしろく」書くために

 論理的文章の基本要素である「主張」「理由」「事実」は、どのような順序で語ってもかまいません。先ほどの国会審議に関する例文を、組み替えてみましょう。

[プロ野球やプロサッカーでは、ナイター開催が一般化している(事実)。週末ならともかく、平日の昼間に試合をおこなっても、集客が期待できないからだ(理由)。ならば同様に、国会審議もナイター制を導入してはいかがだろうか(主張)。多くの視聴者が集まるゴールデンタイムに中継されれば、国会審議にも熱がこもるというもの。国民の政治意識も高まるだろう(理由)。]

 あえて4つのパートに分けて書いてみました。こちらのほうが、おもしろいと思いませんか? じつはこの例文、「主張」「理由」「事実」の要素を盛り込みつつも、起承転結の流れに従って書かれています。プロ野球・プロサッカーのナイター制を挙げるバートが「起」。その理由を述べたパートが「承」。そして国会にも同じ制度を持ち込めと訴えるパートが「転」。最後の締めくくりが「結」です。

 このように、まずは論理的に正しい文章をめざし、そこから「読んでいておもしろい文章」をめざす。先にあるのは正しさです。

(続く)

「論理的文章」を形成する3つの要素とは?古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1300万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。「バトンズ・ライティング・カレッジ」主宰。(写真:兼下昌典)