半世紀前に「ひな壇」の隆盛を予言

 談志さんが番組を抜けて、また大喜利メンバーが入れ替わることになって、ぼくも新メンバーのひとりになりました。じつは、ちょこっと裏事情があるんです。現代センターという談志さんが作った事務所に入れてもらっていた話はさっきしましたが、歌丸さんも小圓遊さんも、そこに所属してました。ぼくが入れたのは、今で言う「バーター」です。

 現代センターは、落語家やタレントだけじゃなくて放送作家もたくさん抱えていて、番組の制作もやってました。「笑点」もそこで作っていたから、談志さんは司会を降りたあとも、番組とは密接なつながりがあったんです。

 当時から談志さんは「これからは素人が出てきてね、ひな壇で面白いことを言ったりするようになるから、その前に落語家ががんばらなきゃいけないよ」と言ってました。今、そのとおりになってます。誰だか知らない人がひな壇に並んで、なんか面白そうにしゃべってるけど、こっちは見ていて何も面白くない。

 先見の明がある人でしたね。先が見えすぎて、まわりに理解されなかったり、自分を苦しめたりするところもありました。味方も敵も多い人でしたが、「笑点」の関係者はもちろん、すべての落語家や落語関係者は、あの人に足を向けては寝られないと思いますよ。

林家木久扇(はやしや・きくおう)
1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。56年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。69年、日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバーに。73年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。82年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。92年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。10年、落語協会理事を退いて相談役に就任。21年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行なう。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素晴らしさと底力、そして無限の可能性を世に知らしめている。おもな著書に『昭和下町人情ばなし』(NHK出版)、『バカの天才まくら集』(竹書房)、『イライラしたら豆を買いなさい』(文藝春秋)、『木久扇のチャンバラ大好き人生』(ワイズ出版)など。