ふと彼女が見せた、疲れた表情

 彼女と働きだしてから、しばらく経ったときのことです。いつだって「可愛くてみんなに愛されるナンバーワン」でい続けた彼女でしたが、ふっと、疲れた表情を見せたことがありました。

「最近、ちょっと忙しくなっちゃってさ」と彼女は言いました。私よりもいくつか年上だった彼女は、ガールズバーでの仕事と昼の仕事を掛け持ちしていました。そんなに働いて大丈夫なんですか、と私は聞きました。だってどう考えてもおかしいのです。何度も言うように彼女は圧倒的ナンバーワンでしたから、お店がはじまる夜から朝方まで引っ張りだこでした。彼女指名のお客さんが次から次へとやってきて、彼女のシフト表は毎日のように「朝5時まで」になっていました。

「大丈夫大丈夫! 昼間の仕事、ゆるいから。仮眠すれば余裕だよ」

 いつものとびきり可愛い顔でそう言うので、私はそれ以上聞くのはよそうと決めました。

 そうこうしているうちに、気がつけば、就職活動が本格化していきました。さまざまな事情を加味して、私はアルバイトを辞めることにしました。「たまに遊びにきて働いていってよ」とオーナーは言いました。「就活がんばってね」とお姉さんたちは応援してくれました。仕事なので、もちろん楽しいことばかりではありませんでしたが、本当にいいお店だったなと私は思いました。

 ただ、彼女の顔を見られないままだったのが最後の気がかりでした。私が辞めるころ、彼女は遅番メインになっていたので、ほとんど入れ違いになっていたのです。

 そのあとのことは、わかりません。就職し、仕事が忙しくなった私にとって、あの空間で働いていた時間は、もはや夢か幻のように思えました。暗がりのなかで光る色とりどりのライト、壁に並ぶ「山崎」のキープボトル、指紋と水垢が残らないように磨かれたロンググラス。窓から見える東京の夜景。みんなで飲んで笑って、カラオケで入れられたAKBを踊りながら歌って。お客さんが来ない雨の日には、ダラダラ営業メールを送りながらくだらない話をする。

 そういう時間が懐かしく思えて、ときたま猛烈にあそこへ行きたくなる日がありました。もう一度でいいから、みんなの顔を……彼女の顔を見たい。「さきちゃんじゃん、久しぶり!」と言ってほしい。接客のプロである彼女なら、きっと数年経っていても私の名前を覚えてくれているんじゃないか。そんな淡い期待が浮かんでは消えました。