SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それゆえこの世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。当連載では、「承認欲求」という現代社会に蠢く新たな病について様々な角度から考察する(本編は書籍には含まれていない番外編です)。
特別に可愛くて、自然に気配りもできたあの子
ガールズバーで一番人気だったあの女の子はちゃんと幸せになれたのかなと、いまでもときどき、思い出すことがあります。どうしてだろう。不思議なものです。おそらく私が今後の人生で彼女にふたたび会うことは万が一にもなく、彼女が幸せだろうが不幸せだろうが、私にはいっさい関係のないことなのです。それでもどうしてか、ときどき思い出してしまう。あのとっても可愛くて親切な女の子は、ちゃんと幸せになれたのだろうかと、どうか幸せでいてほしいと、願ってしまうのは、なぜなのでしょうか。
彼女と出会ったのは約8年前、大失恋して落ち込んだ私がガールズバーでアルバイトをしたのがきっかけでした。大好きだった彼にこっぴどく振られなかば自暴自棄になっていた私は、もう二度とこんなつらい思いはするまいと、恋愛武者修行の旅にでることを決意したのです。当然ながら、ガールズバーに入ったからといって私の恋愛スキルが格段に上昇することなどなかったのですが(むしろさらにこじらせたと言ってもいいでしょう)、それでもそのときの私は、ガールズバーに入るしかいまの自分を変える方法はないのだと思い込んでいました。
私が働いていたのは、都心のガールズバーでした。経営者の男性は物腰柔らかく、女の子みんなにフラットに接してくれました。黒服の男性たちも、ピアスが片耳に5個もついていたり、黒いシャツを第3ボタンまで開けていたりと見た目はいかつかったのですが、お店と、働いているキャストたちをとても大切にしていました。
だからなのかはわかりませんが、働いている女の子たちも、綺麗で可愛くて、優しい子たちばかりでした。20代~30代前半の女の子が中心で、女子大生からモデル・役者の卵、OLと掛け持ちしている子まで、さまざまな子が在籍していました。当時、女子大生だった私は、年上のお姉さんたちによく可愛がってもらったものです。ドラマや漫画でよく観るような「女のドロドロ」を多少覚悟していた私にとっては、それは嬉しい誤算でした。
芸能界を目指している女の子が多いということもあって、とにかく美人だらけのお店だったのですが、なかでもとくべつに可愛い女の子がいました。彼女にはじめて出会ったときの衝撃を私は忘れられません。「えっ、何この人かわい……ええっ!? かわいっ!」と二度見どころか三度見、四度見くらいはしたと思います。それくらい、彼女は別格でした。これまでの人生で出会った誰と比較しても、まちがいなく彼女がいちばん可愛いと断言できる。周りの人たちすべてを屈服させるような圧倒的な可愛さを、彼女は持ち合わせていました。
あの可憐さは、溌剌とした美しさは、どう表現したらいいのでしょう。よくわかりません。彼女を表現するに値する適切な言葉を、8年経ったいまでも、私は見つけられていないのです。「『ほんとうに』可愛い」というのはこういうことなのだ、と私はそのときまざまざと思い知らされました。
彼女はほっそりとしていて、153センチの私よりも少しだけ背が高く、やや日本人離れした顔立ちをしていました。目が大きくぱっちりとしていて、黒目がちな瞳がくるくると動き、いつもお客さんや私たちを楽しませてくれました。
「さきちゃんは、こういうお店で働くのはじめて?」と彼女は私にたずねました。オープニングシフトが一緒だったときのことです。このお店が開業した当初から働いているという彼女は、懇切丁寧に仕事を教えてくれました。
「はい、はじめてです」
「学生さんだよね。さきちゃんみたいに、大学通いながら来てる子、いっぱいいるよー。お客さんもいい人ばっかりだし、すぐに仲良くなれると思うよ。さきちゃんと働けるの楽しみだなあ」
それは、意識していたのか、天性のものなのかわかりませんが、彼女は人を楽しませる天才であり、気遣いの天才でした。本当のエンターテイナーというのは、相手の感情の動きを先回りして察知することができるのかと、しみじみ思ったものです。というのも、彼女は他者に不安やフラストレーションを抱く隙を与えることがなかったのです。緊張気味の新人がいれば「あなたと働けて嬉しい」と声をかけ(「大丈夫?」「困ったことがあったら言ってね」という声がけよりも、こういうポジティブな言葉のほうが緊張はほぐれるのだと知ったのは、このときがはじめてでした)、グラスについた水滴にお客さんが気がつく前にそれをふきとり、仕事帰りで直接店にきたよというお客さんには「あたしお腹空いちゃったんだけどみんなで何か食べない?」と誰よりも早く声をあげました。
きっと、お店にきていたお客さんのほとんどは、彼女が「気配りをしている」ことにすら、気がついていなかったのではないかと私は思っています。なんなら、彼女は「ちょっと抜けている、若くて可愛い女の子」という扱いを受けていました。一流企業で働くおじさまたちが、難しいビジネスの話を「知ってる?」とたずねる、「えー、あたしわかるよ。〇〇でしょ?」と頓珍漢なことを彼女が言う、「ぜんぜん違うよ!」とお客さんがつっこむ。難題をふっかけられ、彼女が自信満々に答え、お客さんが「バカだなあ」と笑うというその流れは、もはや恒例行事のようになっていました。
あまりにも、自然でした。彼女の言動、表情、目の動き、褒め言葉、そのすべてが自然だった。明らかに45歳に見えるお客さんの「俺って何歳に見える?」というめんどくさい質問に、みんなが「えー、38歳くらい?」と気を使って言うところを、彼女は「うーん、45歳! あ、ごめん! やばい当たっちゃった!? 大丈夫大丈夫、本当は33歳くらいに見えるよ」と大笑いして返す。屈託がなくて、彼女がいるだけでパッとその場が華やぐ。そういう子でした。
彼女は隙を見せることがありませんでした。いつも明るく、いつも楽しそうで、女の子にもお客さんにも愛されていました。彼女は圧倒的ナンバーワンでしたが、誰ひとり、彼女に嫉妬する人間はいませんでした。当然のことです。勝負を挑もうとすらしないでしょう。いや、むしろ、そうするしかなかったのかもしれません。彼女を「別格」扱いし、勝負の土俵に立ち入らせないようにすることは、私たち「そこそこ」の女の子が自尊心を保つための唯一の方法でした。