あれから8年、お店は閉店していた
けれど結局、私がそこに戻ることはありませんでした。キャストとしてはもちろん、お客さんとして立ち寄ることも。いつの日だったか、お店の名前を検索して、閉店してしまったのだと知りました。オーナーやスタッフ、キャストのみんなと連絡を取り合っていたグループLINEのタイムラインには、「グループを退会しました」の文字がいくつも並んでいました。
8年経ったいまでは、彼ら彼女らの名前すら、思い出せなくなってきました。なんとなく、〇ッキーとか〇ッシーみたいな、小さい「つ」が入ったニックネームの人がいたなとか、それくらいのことは思い出せるのですが、はっきりとした記憶はどんどん薄れつつあります。といっても正直なところ、あのとき教えてもらった名前が本名だったのか芸名だったのかすら、わからないのですが。事実、私のフルネームをみんなが知っていたのかどうかも、いまとなっては定かではありません。
あの子はいま、ちゃんと幸せに暮らしているのだろうか。
それでもときどき、いや頻繁に、彼女の顔が思い浮かぶのです。元気にしているだろうか。ご飯をちゃんと食べているだろうか。ほっそりした彼女の手首や、隣に立ったときにちらりと見えた上向きなまつ毛の曲線を思い出すのです。元気でいてほしい。幸せでいてほしい。どんな形でもいいから、彼女が望む形の幸せを手にしていてほしい。
なぜそう願ってしまうのか、よくわかりません。単純に、人として好きだったからでしょうか。それとも、新人だった私を助けてくれた彼女に恩を感じているのでしょうか。
あるいは、と私は少し恐ろしいことを思ったりもするのです。
彼女くらい素敵な人が幸せでなかったら、私があまりにも惨めすぎるじゃないか、と。
美しい容姿や磊落な性格、愛嬌、努力家なところ……私のほしいものすべてを手に入れている彼女が幸せじゃなかったら、じゃあ私はどうやって幸せになればいいんだと、そんな屈折した思いを抱えているだけなのかもしれないとも、思うのです。
私はいままさに、彼女が持っていたようなものがほしいともがいていて、それを手に入れることを目標に邁進していて。手帳やバレットジャーナルに細かく目標値を入力して、美人になれますように、優しくなれますように、努力家になれますように、仕事ができる人間になれますようにと日々願い続けている。その目標を達成できたのならば、きっと私は誰よりも幸せになれるはずだと心の底から信じている。
なのに、それを体現しているような彼女が幸せじゃなかったら?
そう考えると恐ろしくて、だからこそ、だからこそ、だからこそ。
幻想のなかの「幸せな彼女」をイメージすることで、私はなんとか心の均衡を保てているのかもしれない。
ただ、美しい人たちというのは、もしかしたら、私たち凡人のそんな自分勝手な願いを背負って逃げ出せなくなってしまうこともあるんじゃないかと思う日もあるのです。
たとえば芸能界での仕事を「夢を見せる仕事」という人もよくいますが、それというのは、「幸せでいてくれなきゃ困る」という私たちの歪んだ心の捌け口になってしまっている可能性も、あるんじゃないか、と。
つらくてしんどくて逃げ出したいときも、キラキラした仮面をかぶって「自分は100%幸せでこの仕事に誇りを持っています」という顔をしなくちゃならない。そういうプレッシャーに押しつぶされそうになっている人も、たくさんいるんじゃないか、と。
私は無意識に、かっこよくて美しくてオーラがある人たちを、追い詰めているのではないか。「憧れ」や「推し」という言葉を暴力的に使ってしまっているのではないか──。
幸せを、他人に代行させちゃならないんだと、最近よく考えます。美しい人たちは、凡人の幸せの代行屋なわけじゃない。自分の幸せを形づくり、実現するのは自分だけであって、期待や夢を他人に託すのは傲慢でしかないのだと、気がつかなくちゃならない。
きっとこの8年、彼女は私の心の拠り所であり続けてくれたのでしょう。私は彼女の深い部分を何も知らないし、外側を見ていただけです。悩みも苦しみもわからない。きらきらした部分だけを見せ続けてくれました。でも私はそれを彼女のすべてだと思い込んで、幸せでいてくれなきゃ困ると願い続けてきた。
でもそういうまっさらで綺麗に見える願いこそが、彼女を……彼女のような人たちを不幸せにしてしまうこともあるのかもしれないと、最近は思うのです。
このあいだ久しぶりに、あのバーがあった街を歩きました。
メトロの何番出口から出るのがいちばん近いんだっけ。
どのビルの何階だっけ。5階? 6階? それとも12階? たしか窓から、ちらりと東京タワーが見えていた気がする。
そんな、ほとんど思い出せない記憶の断片をたどりながら、街を歩きました。
彼女はいまでも、この街に来ることはあるのだろうか。
行き交う人々の背中から目を背けながら、小さく祈ります。
もしすれ違ったとしても、どうか気がつきませんように。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。