ネット上に残る責任を放置した言葉たち
私は、一応本名で活動をしている。川代紗生という名を持つ人間として意見を主張し、伝えたいことを書いている。本名で書いているのは仕事上の問題もあるけれど、ただ、なんとなく、匿名で自分の意見を伝えるのは、違うなと思ったから、本名からスタートしたのだった。
今ではそれは、自分の伝える言葉たちに、自分で責任を持つということだから、よかったと思っているけれど、ただ、それとはまた別のところで、私は苦しんでいる。
匿名の声たちから、逃れられないことだ。
もはや、私の頭の中には、匿名の声たちが、住み着いてしまっている。私は私として何かを伝えようとする前に、何かを書こうと、表現しようとする前に、まだ発せられていない、生まれ落ちていない匿名の声が、私に向かって、こう言ってくるのだ。
「つまらない」
「それっておかしくない?」
「バカじゃないの?」
私を嘲笑う歯が見える。綺麗に並んだ白い歯が、空中に浮かんでいる。そして、ニヤリと笑う。こちらに向かって、真っ黒な背景に浮かぶ歯が、私に向かって、ニヤニヤと。
やめてくれ、と私は思う。評価しないで。私の価値を判別しようとしないで。私のことを嗤わないで。まだ何も書いてないのに。何も言ってないのに。何もチャレンジしてないのに。
そう思うのに、その匿名の声は、消えることはない。ただ、ニヤニヤと嗤い、私に批判の声を浴びせ続け、そして、そんな声が次々に増えていくたび、私は苦しくなって、逃げ出したくなるのだ。
そんなに楽しいか、人を評価するのは。
上から目線で、判別するのは。嗤うのは。お前の点数はこれくらいと、値付けするのは。
そうやって、嗤ってくる声たちに、対抗しようとするのだけれど、ふっと、そもそも、誰も私に声などかけていなかったことに気がつく。そうだ、誰もいなかったのだ。私をバカにし、嗤う人など、どこにもいなかった。私は独り相撲をしていただけだ。受け取ってすらいない声を勝手に想像し、勝手に落ち込み、勝手に憂鬱な気分になっている。それだけ。
バカだ、と思うだろうか。
私も思う。自分はバカだと。
けれども、現状として、こういう匿名の世界で生きていかなければならないというのは、紛れもない事実なのだ。私にとって。
私が、まだ聞こえてこない他人の声を先回りして卑屈になっているというのは事実だ。紛れもない事実だ。
ただ、匿名の声たちが、日に日に大きくなっているというのも、それはそれでまた、事実なのだ。
名前を持たない匿名の人間が、声高に自分の意見を主張し、誰かを批判し、傷つけ、貶めているのも、実際に起こっていることで、そして、おそらくこれから先、そういう匿名の声たちが消えることもないだろう。
名前のない、責任を放棄した言葉がネット上には残る。誰かが傷つけられ、言葉の暴力で殴られたとしても、責任をとってはもらえない。「匿名」には、逃げ道が用意されているからだ。何かあれば、逃げればいい。消えればいい。名前を変えて。また別の人間になって、次の人間を傷付ける。
たとえば、私の精神がもっと強かったら。
もっと頭が良かったら。
そう思うこともあるけれど、おそらく、それだけの問題でもないのだろうと思う。
怖いな、と私は思う。
この戦いが、おそらくこの先どう頑張ったとしても終わらないであろう戦いが、怖い。
ただ、私にできるのは、名前を持つ人間であり続けることだけだ。私は私という人間として、言葉を紡ぎ続けるしかないのだ。