トランジションの3つの段階

 それでは、トランジションの3段階を具体的に見ていきましょう。

 第1段階の「終わり」では、起こった出来事に対して前向きに向き合うことができません。以前の状況が突然終わってしまったことに対する「喪失感」を強く感じてしまいます。

 この段階では、起こった出来事によって失ったものを、しっかりと認識する必要があります。そして、悲しみを感じながらも、次の段階であるニュートラルゾーンへと、目線を向けやすくする支援が重要になります。例えば、買われた側の企業がこれまでに達成してきた成果や業績を棚卸し、たたえ合うことも大切な行動です。メンバー同士が過ごした時間のなかで得られた思い出を共有し合う時間も必要です。人が亡くなったときに、お葬式を行い、故人を悼むように、M&Aによって買われた側の状況が大きく変化することを踏まえて、同様の「儀式」が必要になるのです。

 第2段階は「ニュートラルゾーン」です。この段階では、出来事が起こる「前」の状況に対する喪失感を感じながらも、出来事が起こった「後」に待っている新しい可能性を徐々に感じ始める時期です。ただ、この時期は、どっちつかずの「宙ぶらりん」な状態になりやすいので、大きなストレスを感じやすい時期でもあります。買われた側の社員は、新しい組織のメンバーと関係性を築いたり、業務の進め方に適応しなければいけないと思いながらも、失われてしまった過去の組織やチームに対する想いや業務の進め方に囚われてしまっている状態です。

 こうしたニュートラルゾーンの時期には、買われた側の社員の視点を、徐々に未来に向けていく必要があります。買われた側が成しとげたことはしっかりと承認しつつも、単体では成しとげられなかったであろう、今後期待される成果について、説明したり語り合ったりすることも重要です。すなわち、買った側の経営資源を活用することで、組織としてどのような可能性が開かれているのかを、確認するのです。また、このM&Aが、個人にとってどのような機会をもたらすのかを話すことで、社員一人ひとりが自分ごととして意味づけしやすくなります。

 第3段階は「新たな始まり」です。ここにきて、ようやく、新しい環境が始まることを受容し、新たな可能性を積極的に模索していける心理状態が整い始めるのです。

 買った側としては、M&Aを開示した段階から、M&Aの目的やゴール、ビジョンについて、繰り返し伝えてきたように思うかもしれません。しかし、情報の受け手となる社員の心理状態が、M&Aに対して後ろ向きであれば、買った側が意図した形で情報が伝わっていない可能性があります。したがって、社員の状況を観察しながら、大切な情報を繰り返し、繰り返し伝えていく必要があるのです。

M&Aはなぜ社員に葛藤をもたらすのか?

『M&A後の組織・職場づくり入門』編著者

齊藤光弘 (さいとう みつひろ)

合同会社あまね舎/OWL:Organization Whole-beings Laboratory代表。組織開発カタリスト。企業における組織づくりや人材育成の領域で、現場支援と研究を融合させ、メンバーが持つ想いと強みを引き出すためのサポートに取り組む。組織開発や人材開発、コーチングといった手法を有機的に組み合わせながら、組織全体の変容と個の変容を結び付け、支援の実効性を高めている。M&Aのプロセスをサポートするコンサルティングファームのコンサルタント、事業承継ファンドのマネージャーを経て、東京大学大学院にて中原淳氏に師事し、組織開発・人材開発の理論と現場への応用手法を学ぶ。2020年3月まで國學院大學経済学部特任助教を務めるなど、大学でのリーダーシップ教育、アクティブラーニング型教育の企画・実施にも関わる。著書に『M&A後の組織・職場づくり入門』(ダイヤモンド社)、『人材開発研究大全』(東京大学出版会)がある。