江戸幕府を開いた初代将軍・家康は、自ら薬を調合するなど、実は超健康オタク。さらに、「生類憐みの令」を出したことで有名な5代目将軍・綱吉は、鶴の漢字を禁止するなど、奇妙な法令を出し続けていた。時代の長だった15人の将軍たちは、何を考え、どのような人物だったのか……。歴史好きの人なら知っている家康、家光、綱吉、吉宗、家斉、慶喜をはじめ、何をしたかちょっと怪しくなってくる秀忠、家宣、家重、家茂、そしてもうお手上げになってくる家綱、家継、家治、家慶、家定など、徳川将軍15人。歴史研究家・歴史作家の河合敦氏の著書『徳川15代将軍解体新書』(ポプラ社)より、将軍たちの知られざる世界の一部をご紹介します。
超健康オタク!初代将軍・家康
元和二年(一六一六)一月、鷹狩りに行った先で家康は動けなくなってしまう。家康には珍しく、高級な榧(かや)の油(異説あり)で揚げた鯛の天ぷらを食べすぎ、体調を崩したのだといわれる。食中毒だったという説もあるが、記録に残っている症状から判断して、胃癌の可能性が高い。
以後、病に伏せった家康だったが、医師の片山宗哲が用意した薬はほとんど口にしようとしなかった。かわりに「腹の中に固まりがあるから、これは寄生虫だ」と判断し、自分で調合した薬ばかり飲んでいた。よく知られているとおり、家康は薬マニアだった。