コロナ禍で「学び直し需要」が高まり、累計58万部のベストセラーとなった『やばい日本史』シリーズ。東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏が監修をつとめ、日本史の偉人の「すごい」面と「やばい」面の両方を紹介する本書は、小学生から90代までの幅広い読者に支持された。
今日は、新刊『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』から、徳川家光の「すごい」と「やばい」を紹介する。

徳川家光の「すごい」:
鎖国や参勤交代で江戸幕府の基礎を固める

東大教授が教える 徳川家光の「こわすぎる」一面とは?

 初代将軍・家康の孫である徳川家光は、幼いころはひ弱なうえに気弱で、周りから「将軍に向いてないんじゃ……」と心配されていました。

 しかし28才でいざ将軍として実権をにぎると、「わたしは生まれながらの将軍である! 大名た
ちよ、従うのじゃ!」
とイキりだし、武家諸法度という法律を改定して大名たちに参勤交代を命じます。参勤交代とは、大名が地元と江戸を1年おきに往復するしくみのこと。家光はわざと大名の負担を増やし、将軍家に反乱を起こす余裕をなくさせたのです。

全方位に厳しかった家光

 さらに、幕府の脅威になりそうな大名はガンガン取り潰し、大名の地位を没収する徹底ぶり。家光は、徳川家をおびやかすものを絶対ゆるさないマンだったのです。

 島原(長崎)でキリスト教徒たちを中心にした反乱が起きると、これを家光は徹底的にたたき潰しました。

 そして、日本からキリスト教をしめ出すために、外国との付き合いを極端に制限。貿易相手はキリスト教を布教しない中国とオランダだけ、船が来ていいのは長崎の出島だけ、という「鎖国体制」を作りあげたのです。

 大名やキリスト教徒にとってはつらい時代の始まりですが、家光は260年以上続く徳川家の支配を固めるための基礎を作ったのです。