ぶりっ子男子と昭和ますらおの共通項とは
連帯の気持ちが生まれたわけ

 たとえば筆者はロバート・デ・ニーロのたばこを吸う姿に憧れて、それをまねようと鏡の前で何度も練習したことがある。その狙いは当然「自分もかっこよくなりたいから」であったが、「理想の自分を演じようとしている」という点で、ぶりっ子男子となんら変わりはないのではないか。
 
 ぶりっ子男子要素をモテに利用しようとする男性には、女性にこびているような姿勢が感じられなくもないが、異性に気に入られようと「上から行っているのか」か「下からか」かくらいの違いしかないのではないか。デニーロのまねは「おれはかっこいいから、ほれてもいいんだぜ?」という上からであり、ぶりっ子男子所作によるこび(媚び)は、「僕はかわいいから好きになって?」という下からで、こうして並べて改めて見てみると大差ない。
 
 もう一つ例を挙げたい。スイーツといえば主に女性が好む食べ物だが、そんな中にあって「スイーツが好き」とあえて公言する男性である。実はこれも筆者がそうであった。
 
 実際、スイーツが好きなのである。甘い菓子はブラックのコーヒーによく合い、“スイーツ”となると“菓子”よりワンランク上の悦楽を享受できる手ごたえがある。
 
 だがよくよく胸に手を当てて考えてみると、そこに女性によく思われようとする意図がまったくなかった――とは言えないのである。いや、正直に言って、「スイーツ好き」を公言することで女性に気に入られたらいいと、たしかに考えていた。
 
 これは紛れもないこびである。具体的なやり口は違えど、男性らしからぬ一面をのぞかせることで異性にこびを売ろうとしていた。まさしく「ぶりっ子男子要素をモテに利用しようとする男性」そのものであり、その筆者がぶりっ子男子をとやかく言える筋合いはないのではあるまいか。
 
 ここまで考え至って、ぶりっ子男子を憎く思う感情はもはや湧いてこなくなった。むしろ「おれもお前もがんばってるな、兄弟」という連帯の気持ちである。ただし、やはり男性のぶりっ子的なしぐさに違和感を覚えるところは変わらない。この辺りはもはや個々人の趣味やセンスの問題であり、他人がどうこう口を挟む領域ではない。筆者には筆者の、彼には彼の良しとするセンスがあるのである。
 
 まとめると、まず“ぶりっ子男子”には、そのプロトタイプとなった「中性的で、そういう性格の男性」がいる。そこから派生して、女性ウケを狙ってその要素を取り入れた、いわば“あざとい系ぶりっ子男子”がいる。後者は昭和ますらおにはなかなか容認されにくいが、昭和ますらおも大なり小なり同様のあざとさに手を染めているので、己の弱さを見定めることができれば昭和ますらおでも自然とぶりっ子男子を愛することができるようになる――はずである。