大企業に入る=「自分は優秀である」ことの証明

意味もわからず、気がついたら深夜の街を走り続けていた私は、ついに駅にたどり着きました。私の家から駅までは歩くと40分くらいあるのですが、気がついたらそこにいました。はあ、はあ、と白い息を吐きながら、私は誰もいない駅前の街を歩きました。本当に誰もいませんでした。たまに遠くで走る車の音やバイクの音がブウーン、と聞こえてくるだけ。

なんでこんなことしてるんだろう、と思いました。意味がわからなかった。こんなことがしたいんじゃない。別に走るつもりもなかった。でもここまで走り出して、泣いてしまいました。

なんでこんなに泣いてるんだろう、と思いました。私はそんなに電通の面接に落ちたことがショックだったのだろうか? コピーライターになる道が閉ざされたことがそんなに嫌だったのか? 本当に自分のやりたい仕事をできないという現実に、絶望しているのだろうか?

いや、違うな、と思いました。

私は、それほど、何もかも振り切ってもいいと思えるほど、コピーライターという職業に憧れていたわけでも、電通という会社に惚れ込んでいたわけでもなかった。

ただ、自分は優秀であるという、証明が欲しかったのだと思います。それだけです。

ああ、私はきっと、「自分」が、思い描いていたような「自分」と違ったから、だから、泣いているんだな。私は、そう結論づけました。私は、心の底から広告代理店に入りたかったわけではなかった。

別に何でもよかったのだと思います。そのとき目の前にあるのが、メーカーだろうが、商社だろうが、なんでもよかった。そういう自分が、今まで思い描いていた自分と、大きく食い違っていて、それが、気持ち悪い、と思いました。今まで私が思い描いていた私は、もっとキラキラ輝いていて、純粋で、まっすぐで。そして、目標に向かって一直線に向かっていけるような、そういう人間。人に優しくて、思いやりがあって。頭が良くて、かしこくて……。

だって、そういう自分だと思っていたからこそ、信頼してたのに。信じてたのに。自信が、あったのに。