作家が、有機農業で生きる道へシフトチェンジ

 9年前、取材のため、神農架を訪れた古さんは、この土地に一目ぼれした。神農架全体を管轄する林区の責任者に、「この土地を守るために、有機農業を勧めるべきだ」と熱く訴えた。その熱意に感動した責任者は逆に「ならば、土地を提供するから、ここに定住して実績を作って私たちと一緒に農民に教えようか」と古さんを説得した。

 ほどなくして、古さんは神農架の中でも奥地に当たる紅挙村の村民となり、有機茶を栽培する茶園の経営を始めたというわけだ。

 古さんは、神農架での生活を次のように説明している。

「ここに定住してからは、ほとんどの時間は茶園にいる。正確に言えば、原稿料に頼る生活モデルが茶園の経営で日常のすべてを維持するモデルに取って代わった。こうなった以上、私も確固たる目標を立てた。化学物質を一切使わない一流のお茶を作ろうというものだ」

 最初、無謀な行動と冷ややかに見られたこの茶園経営は、やがて成功する。北京では、大董、台湾系レストラングループの鼎泰豊などの有名店が、相次いで「古清生茶」を使用するようになった。茶園の経営が軌道に乗ってから、家のまわりにバラ園を2カ所開いた。バラの花などを活用した商品の販売も始まった。

「ミイラ取りがミイラになってしまった」古さんに会いたいと思った私は、ちょうどバラを植えてバラ園にしようという作戦を始めた数年前、神農架を訪ねた。