古さんの定住が村に変化を与えた

 村を回ってみたら、農家の前も周辺も花などは植えておらず、花で住宅周辺を飾っているのは古さんの家だけだった。これに気付いた私は、神農架を中国のプロバンスにしようと古さんに提案した。

 神農架の農家のほとんどは山に散らばって暮らしている。門の前や家の裏は傾斜地となっているが、それは農家たちの命の畑だ。彼らはこの傾斜地を守りながら、半ば農耕・半ば採集の生活スタイルで日々を送ってきた。

 中国の他の地域の農村と同じように、若い男女はみな貧しい農村を捨てて、都会へ出稼ぎに出て、旧正月や夏の暑い時期だけ山に帰ってくる。年越しの時、普段は、すいている神農架の道路を多くの車が走る。そのナンバープレートは広東省、浙江省、山東省、遼寧省、新疆などのものになっている。

 貧しさと交通の不便さで逆に自然が乱開発から守られた神農架は、いまや宝のような貴重な存在となった。古さんが初めて紅挙村を訪れた時、川沿いに広がる平地に青い花がじゅうたんのように咲いていた。その壮観な山間部の景色に、古さんは「まるでプロバンスだ」と歓声を上げたという。

 だから、私の提案を聞いた彼はのちに、エッセーのなかに、こう書いた。

「(神農架に定住して)数年後、莫邦富さんが東京から飛来した。彼は茶園に立って遠い山々に点在する農家を眺めながら、ここを中国のプロバンスとして書かないといけないよねと言った。文化人はみな、このような共感を持って、山奥に広がるこの神秘的な世界を見るのだ」

 古さんの神農架定住は、この紅挙村に大きな影響を与えた。

 新しくできた紅挙小学校は家電メーカーのハイアールの寄付金で建設されたもので、校舎、宿舎、運動場はすべて立派で、インターネットも備えている。古さんが2013年にネットワーク開通申請手続きを行った時、村にはまだインターネットがなかった。そこで古さんは、庭に出力が大きい無線ルーターを設置したのだが、パスワードを設定しないことにした。そのおかげで、村の若者たちは携帯電話をインターネットにつなぐために、古さんの家に集まってきた。

 その後、みんながそれぞれ自分でネット開通を申請し、わずか2年で道路脇に立って古さんの家のWi-Fiを利用する人はいなくなった。いまや村の子どもたちはオンラインゲームで遊び、ネット通販で自分たちの好きな服や靴、かばんを買うようになった。

 その変化について、古さんは次のように紹介している。

「私はウィーチャットで茶摘みと花摘みのグループを作り、茶摘みの人手が必要なとき、グループ内で知らせれば、自然に申し込みが入ってくる。給料もすべてウィーチャットペイで支払う。村の売店での買い物にもウィーチャットペイを使える。昔のように、農業労働者に賃金や茶摘み代を渡すのに、車で町に出向いてATMでお金を下ろす必要はもうない。いつの間にか、村のおばあさんたちも抖音(中国版TikTok)を夢中でするようになった」

 紅挙村では花を植える人も増え始めた。茶摘み労働者として古さんのところに働きに来た女性たちは最初、満開の花の前で自撮りをしたりしていたが、やがて自分の家の前にもこのように花を植えようと行動を起こしたからだ。

 変わりゆく神農架をより多くの人々に知ってもらえるよう、私は日本の大学で教鞭を取っている友人に声をかけ、2020年の春休みに日本人大学生の修学旅行ツアーを組もうと企画した。

 しかし、コロナ禍の影響で実現できなかった。今年こそと期待していたが、それも空回りに終わった。

 だから、冒頭の李首相たちがマスクをつけずに雲南省を訪問した動画を見て、トンネルの先に光が見えたかのような興奮を覚えたのだ。来年こそ、神農架を訪れたい。心の中で4度目の誓いをした。

(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)