日本のスタートアップ界隈でよく耳にする「ハンズオン」という言葉。米国随一のベンチャー・キャピタリスト養成機関カウフマン・フェローズ・プログラム(KFP)の教室では、「決してその言葉を使わないように」と否定的に語られていた。「ハンズオン」とは一般に、スタートアップ企業の経営に入り込み、手助けし、成功に導くことを指す。それはベンチャー・キャピタル(VC)の重要な機能と日本では認識され、いい意味で使われるケースが多いだろう。それを使ってはいけない理由とは?
本記事は、ツイッターやズーム、スクエア、パランティア、コインベースなど数々のユニコーンに投資し、シリコンバレーで躍進する日系VC創業者が、KFPで学んだり実践を通して学んできた「急成長企業を見いだす科学的手法」をまとめた新刊書籍『スタートアップ投資のセオリー 米国のベンチャー・キャピタリストは何を見ているのか』より、一部をご紹介していく。
カウフマンの教室にて
「あなたたちは、ハンズオンという言葉を普段使っている?」
米国シリコンバレーのベンチャー・キャピタリスト育成プログラム「カウフマン・フェローズ・プログラム(Kauffman Fellows Program)」の授業で、そんな講師の問いかけに、若手のベンチャー投資家の手が次々と挙がります。講師を務めていたのは、シリコンバレーを代表する老舗ベンチャー・キャピタル(VC)、クライナー・パーキンスで当時著名だったベンチャー・キャピタリスト、リサ・スタック(敬称略)でした。
場所は、スタンフォード大学にほど近いビルの一室のレクチャールーム。厳しい審査を潜り抜けた40人ほどの受講者の中に、筆者もいました。
「ハンズオン」とは、スタートアップ企業の経営に入り込み、手助けし、成功に導くこと。それは日本でも、ベンチャー・キャピタルの重要な機能であり、姿勢のように認識されています。
「ハンズオン」という言葉がもつ意味
しかし、リサはこう続けました。
「ここに参加している人たちは“ハンズオン”と言うのは今日からやめてください。少なくともクライナー・パーキンスでは、ハンズオンという言葉を使うことはありません」
なぜ「ハンズオン」はダメなのか。
教壇に立つリサは、こう言いました。
「あなた方がプロのベンチャー・キャピタリストならば、その分野のビジネスについて世界一知っているスタートアップに投資しなければ意味がない。自分たちよりも、はるかにビジネスのことを知っている人たちに投資すべきなのです。『VCが指導する側』で『スタートアップは指導される側』という認識はまったくの誤りです。ハンズオンという“上から目線”の認識でいるVCは成功できません。皆さんは謙虚になるべきです」
リサは著名な女性ベンチャー・キャピタリストで、ヘルスケア分野では右に出る者はいないほどの実力者です。そんな彼女が「自分たちはスタートアップの上にいるのではない」と言ったのです。
張り切って手を挙げた若手の投資家は、すごすごと手を下ろすことになりました。
「上位5%人材」育成
カウフマン・フェローズは、将来のVC業界の中核──上位5%を担う人材──を育てることを目的に設立された教育機関で、毎年40~60人の若手ベンチャー・キャピタリストらが受講を許されます。若手といっても平均年齢は40歳手前ぐらいで、現場の最前線で働いている各ファームのエースたちです。
カウフマン・フェローズは実際に、これまで米国トップ層のベンチャー・キャピタリストを輩出してきました。たとえば、セールスフォース・ドットコム(Salesforce.com)に投資しSaaSビジネスの勃興をVCとして支えたジェイソン・グリーンや、ビジネスチャットツールのスラック・テクノロジーズ(Slack Technologies)に投資したマムーン・ハミドなど、VC界のスターが生み出されてきています。
筆者は2007年、このカウフマン・フェローズ・プログラムに、2人目の日本人として足を踏み入れました。ちょうど、アップル(Apple)が初代iPhoneを発売した年でした。2001年のITバブル崩壊を経て、シリコンバレーが再び活気を取り戻した頃です。
大型スタートアップの誕生と時代の空気
2003年にはイーロン・マスクがテスラ(TESLA)を、翌年にはマーク・ザッカーバーグがフェイスブック(Facebook)を創業し、セールスフォース・ドットコムが新規上場(IPO)を果たしました。2006年にはジャック・ドーシーがツイッター(Twitter)を創立しています。これらの2000年代を代表する起業家たちが同時期に創業したのは、この時代の活気と無縁ではないでしょう。
カウフマン・フェローズ・プログラムでは、まさにそういった輝くようなスタートアップに投資してきた、または投資している一流の投資家たちが講師役となって、VCとしての立ち振る舞いを叩き込まれます。自身が在籍した2年の間にも、モンゴDB(MongoDB)、トゥイリオ(Twilio)、スクウェア(Square。現Block)、ピンタレスト(Pinterest)といったユニコーンが次々と産声を上げました。
ピーター・ティールやイーロン・マスクら、ペイパル(PayPal)創業メンバーの連続起業家を「ペイパル・マフィア」と呼ぶことがありますが、カウフマン・フェローズ・プログラム出身者もまた、VCの「カウフマン・マフィア」ともいえるエコシステムを築いています。そこには、特有の共通言語のようなものがあり、また、スタートアップ企業に対してそれぞれ独特の付加価値を提供しています。日本のVCとはかなり異なる文化を持っているといえます。
ハンズオンはなぜダメか
冒頭の「ハンズオンという言葉を使うべきでない」というリサの言葉に戻りましょう。
ベンチャー・キャピタリストとして私が培ってきた経験の中で得たのは、やはり彼女は正しかった、という実感です。VCの「ハンズオン」を必要とするようなスタートアップには、投資する価値がありません。
圧倒的な競争力を持つスタートアップから選ばれる立場にあるのが、VCのビジネスの本質です。VCが上から目線でいられるような企業は成功確率がかなり低い、と言ってもよいでしょう。クライナー・パーキンスのような歴史があるVCでも、競争力を持つ企業にできるだけ速くアクセスし、選んでもらえるような付加価値を提供する努力を日々続けています。
Sozoベンチャーズを筆者とともに立ち上げた共同創業者で、そのときカウフマン・フェローズ・プログラムの3代目最高経営責任者(CEO)であったフィル・ウィックハムは「VCは自分の価値を営業する仕事であり、それを理解できないとトップVCにはなれない」と繰り返し言っていました。
本業をフォローする必要はない
そして、冒頭のリサの言葉には、もう1つの含意があります。
「起業家には本業に集中してもらい、彼らがやってほしい周辺の仕事を担うことがVCの役割だ。起業家の邪魔をしてはならない」
VCは、ハンズオンで起業家の本業に関わる部分をフォローする必要はありませんが、本業を支える周辺の仕事で起業家に決定的な付加価値を与えなければ、投資の機会が与えられないのです。「下働きをせよ」ということです。
自分の会社だけを見て「部分最適」に全身全霊を尽くす起業家に対して、業界全体や類似の起業家を長期にわたって見ているVCには「全体最適」の視点やネットワークがあります。起業家にはできない「周辺のこと」、たとえば特殊な専門性を持つ人材の採用や接点がない顧客・パートナーの紹介、財務や法務専門家の紹介、メディア対応といった機能を提供することが重要となります。