「違い」をめぐるドラマが生まれる教育現場で…

 私は、大学教員として仕事をしているが、同時に神戸大学附属特別支援学校の校長という役職も担っている。今年度で4年目になる。

 神戸大学附属特別支援学校は、教育実習や介護等体験など、神戸大学をはじめとする大学の学生たちが訪れることの多い学校である。ここの教育実践の影響を受けて進路選択に生かす学生も少なくない。中には、「ぜひとも、この学校で働きたい」と希望するようになる学生もいる。

 小山紗知さんも、その一人である。宮城教育大学在学中に神戸大学附属特別支援学校の存在を知り、それまでは縁のなかった神戸に単身で乗り込んできた。ボランティアとして学校に通ううちに、「ここで働きたい」と思うようになり、採用試験を受験した。臨時採用の期間を経て、2018年度から本採用の教員となった小山さんは、既に教員集団の中で欠かせない柱の一人である。

 小山さんが相手にするのは中学生の子どもたちだ。その子どもたちは、思春期のために心と体のバランスを崩しやすいうえに、気持ちを言葉にして他者に伝えることが難しい知的障がいがある。それゆえ、心にため込んだ苛立ちを持て余す子どもも多い。

 ある日、校長室で仕事をしていると、体育館がざわついている。何が起こっているのだろうと体育館をのぞいてみると、小山さんと達郎くん(仮名)が取っ組み合いをしていて、周囲では先生や子どもたちが息をのんで見守っていた。達郎くんは、思うようにいかなくて苛立つ気持ちを持て余し、時折、激しく感情を爆発させる中学生の男の子である。

 どうやら、次のような発端で起こった取っ組み合いらしい。休み時間に、みんなで、大きなバランスボールを相手ゴールに入れるゲームをしていた。そのゲームに興味をもった達郎くんが、小山さんを指名して挑みかかった。小山さんは、達郎くんには手を抜かずに応じる必要があると感じ、本気で対戦を受けた。いい勝負になったが、最後はおとなと中学生の腕力差で、小山さんが勝った。達郎くんは悔しさを体全体で表現して、小山さんに組みついたのだ。小山さんは達郎くんがぶつかってくる衝撃に耐えながら、達郎くんの悔しい気持ちを本気で受け止めようとしていた。

 この学校には、心に傷を負って入学してくる子どもが多くいる。障がいがあることそのものよりも、通常の学校で、他の子どもたちとの「違い」を十分に受け止めてもらえなかったことを理由に、特別支援学校を選択するケースが多いのである。私は子どもたちの様子と接することで、特別支援学校には子どもたちの「避難所」としての役割があることに気づいた。

 雅史くん(仮名)も小山さんが格闘している中学生のひとりである。通常の小学校を卒業して、中学部からこの学校に入学してきた元気のいい男の子である。入学してきてすぐに、先生たちは、雅史くんの課題が、知的に障がいがあることよりも、自分や他者を信頼することができない心の状態にあることを感じ取った。先生たちにべたべたと甘えていたかと思うと、次の瞬間には衝動的に暴れ回る。必死に自分を守ろうとしている雅史くんの様子に、先生たちは、彼の内面にある大きな傷を知った。

 小山さんはじめ中学部の先生たちは、雅史くんの課題にどう取り組むかということについて何度も話し合った。その結果、「雅史くんはどうやら虫が好きであるらしい。それなら、虫を題材に授業をしてみよう」ということになった。

 そこで、まずは先生と生徒が一緒に校庭で虫を追いかけ、捕まえた。雅史くんははりきって虫を探し、カマキリを捕まえた。先生たちは、そのカマキリを飼育し、子どもたちのカマキリへの興味を引き出していった。「カマキリはどうやって捕食するのか、カマキリにとっての獲物がいかに巨大か、その巨大な獲物をどうやって捕まえるのか」といった問題意識が、子どもたちに自然に生まれてくる。授業は、そういった問題意識に沿って進められていく。

 雅史くんが目の輝きを見せはじめたのは言うまでもない。他の子どもたちも巻き込んで、おとなでも興味をそそられる授業が展開されていった。先生たちは、雅史くんが自分らしくいられるように試行錯誤するうちに、雅史くんの世界を一緒につくりあげるようになっていくのである。

 こんなふうに、小山さんたちは子どもたちの世界に寄り添おうとしている。寄り添うことによって、子どもたちが社会との関係をつなぎ直す「橋渡し」の役割を担おうとしているのだ。