ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと

学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第2回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部

* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」

社会人学生が大学で学ぼうとする、さまざまな動機

 多様な背景を持つ人たちが集まる大学というと、必ず思い出す光景がある。20年ほども昔になるが、イギリスのマンチェスター大学の学生食堂での光景である。「きれいな英語を話す白人の若者」というイギリスの大学生に対する私の勝手なイメージは、あっという間に脆くも崩れた。一つのテーブルを偶然囲んだ学生の中に、スウェーデンで育ったインド国籍の留学生がいた。学生たちの出自の多様性は予想の斜め上をいっていた。肌の色も、言語も、そして、年齢も多様であった。この風景の記憶は、私の大学のイメージがいかに小さなものであったかを気づかせてくれた。

 それまで、私の知っていた大学は、日本語を話す日本人の若者が圧倒的多数を占める大学であった。そして今でも日本の大学の多様性は小さい。留学生の割合も、社会人学生の割合も、OECD加盟国の平均値を大きく下回る。少し前のデータになるが、日本の大学に在籍する留学生の割合は3.1%(OECD平均は6.9%)、社会人の割合は1.9%(OECD平均は18.1%)だったという。

 留学生、社会人学生、障がいのある学生など、はっきりと異質性を示す人たちは、学生の同質性集団に風穴をあける。自分たちが当たり前だと思っていることが通じない他者との出会いは、学生たちが世界を広げるきっかけになる。

 連載2回目となる今回の「キャンパス・インクルージョン」では、中でも“社会人学生”に焦点を当てる。

 大学で学生たちの学びを長く見守っている私は、若い学生たちと社会人学生とが机を並べて学び、互いに大いに刺激を与えあっている姿を幾度となく目撃してきた。

 社会人学生が大学で学ぼうとする動機はさまざまである。学歴を付けたいという単純な動機から、これまで取り組んできた仕事の総括をしたいという動機、専門性を深めたいという動機、新しい専門性を持ちたいという動機など……。中には、働きながら出合った社会的課題の解決に取り組みたいという一念から、大学の門を叩く人もいる。今回紹介したいのは、この「働きながら出合った社会的課題の解決に取り組みたい」タイプの社会人学生である。