◇誰かのために何かをする

 人は、人生になんらかの意味を感じないと生きられない存在だ。だからこそ自分のためではなくて、特定の誰かのために何かをすることが大切になる。その際、自分のやりたいことではなく、「やるべきだ」と信じていることをやればよい。

 誰を大切にしたいのか。何を大切にしたいのか。この2つについて考え、現時点でなすべきことをする。もちろん損得や感情をはずす必要がある。「得したい」「ラクしたい」という感情を脇に置くのだ。

 一つの手本となるのが職人の生き方である。大工、農家、お寿司屋さんなど、どの職業でもよい。職人技と呼ばれるほどの腕があり評価される人たちは、「やるべきこと」が決まっているので、人に対して見栄やてらいがほとんどない。彼らは自分自身が評価されなくても、「自分の仕事」が評価されればいいと考えているためだ。彼らは日々の生活の中に具体的な喜びや楽しみを見出せる。何を選択するにしろ、「なすべきこと」とは欲望ではなく、価値なのである。

◇「人生に意味などない」からスタートする

 仏教では「自分が自分であることには所詮根拠がない」と述べている。そんな根拠のない自分を自ら変えられると考えること自体勘違いである。

 胸にあいた「穴」は埋まらないものだ。「穴」のあいた自分と折り合いをつけながら、持ちこたえていく術を身につけるのが大切である。

「この状況をなんとかしなければ」と思うと、自分を追い込んでしまう。今の自分とは違う視点があると気づくことで、見える景色がガラッと変わっていく。仏教に限らず、他の宗教や哲学からでも、新しい視点を得られれば、人生はまったく別の意味を持つようになる。

◆「夢」や「希望」という重荷
◇「夢」や「希望」がなくても人は生きていける

「夢をもとう」という際の「夢」とは、「職業」を指していることが多い。職業を考えるときにもっとも大切なのは、「人の役に立ってお金をもらうこと」だ。仕事は自分の夢のためにあるわけではない。そこをはき違えていると、夢や希望に振り回されてしまうだろう。

 本当に偉いのは、夢に破れても生きていく人だ。夢をつかもうと必死で手を伸ばしたのに手が届かなかった。その挫折感から立ち上がる人は、損得勘定から離れることができ、本当に大事なものを見極められるようになる。