火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊と書評が相次ぎ、発売たちまち7万部を突破した。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。(初出:2021年7月25日)
コメをつくりあげた人類の偉業
日本で愛されているカレーライスの主役の一つは、ご飯である。
人口比率で見るとコメを主食にしている人が圧倒的に多く、世界の約半分の人口を占める。その次がコムギ、そしてトウモロコシが続き、これらは世界三大穀物と呼ばれている。次いで多いのがジャガイモだ。
コメは日本や多くのアジア諸国の主食で、イネ目イネ科イネ属の植物の実(種子)である。日本人の主食のコメを例にして、人類の営々たる努力の跡を辿ってみよう。コメはイネの実(種子)の皮をむいて食べられるようにしたものだ。日本には縄文時代後期に中国から稲作が伝わった。そして、紀元前四世紀頃からの弥生時代には、稲作が広く行われるようになった。
作物として栽培されているイネは、もともとは野生のイネだった。人類は数千年前に栽培化を始めたのだ。野生のイネのなかから「倒れにくい」「実が落ちにくい」実を選んだのだろう。
作物としてのイネは、野生のイネ科植物と比べて一粒の実がとても大きく、デンプンが多く詰まっている。実はいっせいに(同じ時期に)熟す。しかも、熟しても地面に落ちずに、稲穂に留まっているのだ。
野生のイネは花が開いて自分の花粉がめしべについても受精しない。他のイネの花粉がめしべにつくと受精する「他家受粉」という性質を持っている。つねに他の花の花粉がついて雑種になるのだ。そのほうが、さまざまな性質の実ができ、環境の変異や病害虫のためにいっせいに死に絶えることがなく、どれかが生き残るという点で、野生のイネにとっては大切なことなのだろう。
しかし、長い歴史のなかで人類に栽培されたイネは、野生のイネの特徴を失った。花が咲くとすぐに自分の花粉がめしべにつく自家受粉によって受精し、実ができるようになった。私たちが、そのような突然変異体を選び出して育ててきたからだ。こうしてすべて同じ性質を持ったイネになり、栽培しやすくはなったが、そのぶん弱くなったといえる。
野生種は実が小さく、熟すとぱらぱらと落ちてしまう。また、一度に熟さず、熟すのに時間的なばらつきがあった。植物にとって子孫を維持するための生存戦略であり、広い範囲にばらまくとともに、環境の変化があっても対応できるように、時期をずらして熟すのだ。
しかし、作物としては、一粒の実に栄養たっぷりが望ましい。また実が落ちにくく、しかも一度に熟すほうが収穫しやすくなる。収穫した実の一部は翌年にまくために残される。人類は、大きい粒のもの、落ちにくく、一度に熟すものを選んでいった。何百年、何千年という選択をくり返すなかで、現在のような品種をつくり上げたのだ。
人類はイネを品種改良して野生のイネの性質を大きく変えて、栽培・収穫しやすいイネにつくり変えてきた。コムギやオオムギも基本的に同様である。結果、作物としてのイネは、自然のなかで(野生で)育つには不都合な性質を持ってしまった。そのため田畑で人間が管理しながら栽培せざるをえないのだ。
(※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)
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東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。