渋沢栄一は「利根川が育てた」といえる理由、なぜ農村育ちで先進的思想を持てた?Heritage Images/gettyimages

2021年のNHK大河ドラマの主役、そして24年には新一万円札の顔となる大実業家・渋沢栄一。近年知名度が上がっているが、彼の出身地をご存じだろうか?渋沢が生まれ育ったのは、現在の埼玉県深谷市。その市街地から遠く離れた血洗島という農村である。維新後に誰よりも早く近代資本主義精神を身に付け実践した渋沢は、江戸や大阪といった商業の中心地や、商人の多い城下町で生まれたわけではなかった。その渋沢がどうして先進的な思想を体得できたのか。秘密は生誕地近くを流れる利根川にあると筆者は考える。(作家 黒田 涼)

渋沢の生家に近い利根川は
かつて何度も氾濫していた

 埼玉県北部のJR深谷駅は、東京駅丸の内駅舎を模して造られたユニークな姿をしている。これは、丸の内駅舎で使われたレンガが深谷市で生産されたことにちなんでいる。駅前には渋沢の銅像が立っている。

渋沢栄一は「利根川が育てた」といえる理由、なぜ農村育ちで先進的思想を持てた?現在のJR深谷駅

 生誕地はさらに郊外。駅からバスで30分近くもかかる。神殿と煉瓦建築を掛け合わせたような渋沢栄一記念館がある。辺りの風景にそぐわない大建築だ。

 周囲は平坦な田園地帯で、名産の「深谷ねぎ」の畑が多い。記念館の裏手には清水川という小川が流れ、向こう岸には広々とした青淵公園が広がる。青淵は渋沢の雅号で、この清水川の流れから取ったものだという。生家へは川沿いに歩いてすぐで、川は生家のすぐ裏を流れる。

渋沢栄一は「利根川が育てた」といえる理由、なぜ農村育ちで先進的思想を持てた?「青淵由来の地」の石碑

 渋沢生家の地名は血洗島(ちあらいじま)という。なんともおどろおどろしい名で、赤城山の神が日光の神に敗れた傷の血を洗ったなどという伝説もあるが、これは「地」が「血」に転じたものだろう。由来は「土地が川に洗われてばかりいる島のような場所」という解釈で良さそうだ。

 この辺りは「四瀬八島」と言われるほど、「島」や「瀬」が付く地名が多い。血洗島を含め、この場合の島は、川の流れで島のように区切られてしまう場所、ということだ。本当の島ではない。生家裏の小川も昔はもっと太い川であり、利根川の乱流の一つだった可能性もある。