あなたが集団に気に入られようとしてしまうのは、自分の弱さのせいではない。

 同調圧力という、集団が持つ基本的な作用のせいだ。集団には必ず「規範」があり、それに合う行動をすれば気に入られる。それが「同調」であり、自己評価が低い人ほどそうしてしまう。

 少し変わっている人でも認められている集団の場合、同調圧力は弱い傾向にある。だから集団に入った時は、その集団でみんなと違っている人が許されているかどうかを見るといい。

 規範も時代に合わせて変化しなければ、集団自体が長続きしない。そして変化を起こすのはマイノリティの役目だ。「みんなと違っていることは、はっきりした価値のあること」なのである。だから「みんなとちょっと違う人」が一番いい。その立場が許されない集団は、むしろ願い下げだ。

◆家族は寄り添わなくていい
◇距離が近いと「嫌い」が爆発する

 著者の兄は高校生の頃、家族全員に暴力をふるうようになった。怒鳴り声や物を壊す音をよく聞いたし、家族全員がひとつの部屋に監禁されたこともあった。誰かが殺される、あるいは正当防衛で殺してしまう可能性もあった。

 そんな体験を思い出すと、よく耳にする「子どもがいることが幸せの条件」といった言葉に対して疑問を持つ。いまの日本では生涯子どもを持たない人が約3割もいて、さらに急増中だ。その人たちが、みんな幸せになれないなどということはない。

「従来の家族の形に希望が持てないなら、うらやむのでもこだわるのでもなく、そういう形はあきらめればいい」。恨み続けるのも悔やみ続けるのもつらいものだ。家族を持たないのも気楽でいいものだし、違った形の家族を持つことだってできる。

 心の距離が近いと、「好き」だけでなく「嫌い」の気持ちも膨らむもの。だから、家族と一緒にいるだけで嫌な気持ちになる人も、自分を責める必要はない。「家族とは、たまたま至近距離に居あわせた特殊な人たちでしかないのだ」。

 家族で食卓を囲まなくなった高校生の頃から、著者の家庭では明らかに暴力が減った。顔を合わさなくなった分、明るい交流はなくなったが、距離を置いたことを後悔したことはない。それよりも、毎日のように起きるいざこざにくたびれていたのだ。

 仲がよくない時は、きっぱりと食事を別にするべきだ。緊張しながらの食事は消化にも悪い。家族はもともと近すぎるということを意識しておくことだ。