三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第104回は、ビジネスにおける「人脈」の意味を考える。
人脈は、求めるほど、遠ざかる
藤田家の御曹司・慎司は麻生グループを率いる麻生巌氏を訪ね、帝王学を伝授される。巌氏は慎司に人脈づくりが何より重要で難しいと指摘。親世代の人脈を引き継ぐだけでなく、同世代の人脈を自ら築く難しさを説く。
私は「人脈」や「人脈づくり」という表現があまり好きではない。人間関係を利害の物差しで評価するニュアンスに違和感があるからだろう。経験的にも、人脈を誇る人間は自分を実像以上に見せようとする傾向があると感じる。
とはいえ、人と人とのつながりから色々な物事が動き出すことが多いのも、また事実だ。「何かを動かしている人たち」に接近したいという憧れや焦燥も理解できる。そんな志向を持つ人たちに、ひとつ、アドバイスを進呈したい。
「人脈は、求めるほど、遠ざかる」。これが私の持論だ。
例えば、たまたま私が有名人や特定の分野の第一人者、世間の注目を集める旬な人など、誰もが「人脈を築きたい」と思うような人と知人・友人だったとしよう。それを知ると「誰々さんを紹介してもらえませんか」とお願いされることがある。
本人は「OKしてくれたらラッキー」くらいの軽い気持ちかもしれない。私もオトナなので、その場は「機会があったら、ぜひ」と笑顔で流す。だが、その一言こそ、「それはもう、ないかな」と判断する決め手になってしまうケースは少なくない。
「紹介」は重い行為
同席したパーティーの場で引き合わせる程度ならともかく、紹介は「ちょっとお願い」と頼むような軽いものではない。自分を通じて会うことになれば、「誰々さん」は真摯な姿勢で一定の時間を割いてくれるだろう。
その結果、「会ってよかった」となれば良いが、期待を裏切れば、時間を浪費させるだけでなく「アイツの紹介はアテにならない」と思われてしまう。紹介はそれくらい重い行為なのだ。「あの人に紹介したい、した方が互いにとって良いだろう」と思えば、頼まれなくても「会ってみませんか」とこちらから提案する。そういうものだ。
若い頃や、自分が何かを始めた時期は「有力者とつながるだけでステップアップできるのに」と考えがちだ。「人脈を持っている人間はズルい」とまで感じるかもしれない。だが、それは順序が逆だ。「会ってみたい」と相手が思える何かをやった人だから、つながりが持てているのだ。
このコラムで以前紹介した『シリコンバレー最重要投資家ナヴァル・ラヴィカント』の中でラヴィカント氏は、仕事の人脈づくりを「完全な時間の無駄」と断言している。
人と人のつながりができるのは、「人脈→仕事」の順ではない。まず「人が欲しがるおもしろいものをつくれ」、そうすれば「しかるべき人が君を見つけてくれる」。この助言に私は完全に同意する。
あえて付け加えると、特に若い人には、この順序をひっくり返す荒技がある。他人の紹介なんて期待せず、いきなり本人に「会ってください」と頼むのだ。あなたの中に何かがあれば、そこから2人の関係が始まるかもしれない。それは、人脈なんて安っぽいものではなく、「ご縁」というものだろうと私は思う。