ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣

2014年から15年にかけて引き起こされたロッテグループの経営権をめぐるクーデター、つまり二男が、後継者とされていた長男のすべての役職を解き、創業者である父さえも実質的に棚上げするという事件では、事業承継に関わるいくつかの教訓が導き出されている。私たちはそれを7つに集約したが、本連載第11回では、1つ目から3つ目までの教訓について紹介した。今回は、残りの4つについて解説していきたい。(ライター 船木春仁)

完璧な仕組みを準備しても、「人」から穴が開き始めてしまう

  改めて7つの教訓とは次のようなものである。

教訓1 後継者指名を公の場で正式に行う
教訓2 後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする
教訓3 後継のタイミングを見誤るな
教訓4 後継者に経営理念を継承せよ
教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ
教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ
教訓7 万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな

 ロッテ創業者の重光武雄は、長男を後継者とすべく資本の再編などの準備を整えてきた。それは、武雄が手掛ける事業同様に非常に緻密なものであったが、二男のクーデターによってすべてがひっくり返されてしまう。

 武雄が準備した承継の仕組みは緻密で完璧に見えたが、それを執行する人間の心理を見誤っていた。事実、そこに思わぬ陥穽があり、それがクーデターを可能とし、事業承継の失敗につながったともいえる。

 先に示した7つの教訓のうち「1」は、「後継者は長男であるというのは言わずもがなのこと」として長男にはもちろん、側近にも具体的な「指名活動」を行っていなかった武雄自身の手痛いミスに注目した教訓である。

「2」も、「1」に関連することであるが、複数の後継候補者がいる場合は、それが我が子であろうが他人であろうが、明確に後継順位を決め、開示しておくことが必要であるということだ。

 いわゆる1位指名を受けなかった者が職場にとどまれば、軋轢なども生じるだろう。それが実子であれば、情けをかけたいところだが、たじろいではならない。後継者候補は企業価値を向上させる能力を備えているか、また経営の安定性、企業の継続性を最優先に考えて、その適性を判断することが、最大の使命であることを忘れてはならない。

「3」は、いつ後継者にバトンを渡すかという問題だ。実はロッテの事業承継では、これが最も大きな失敗であったともいえる。武雄がクーデターによってロッテホールディングス(HD)会長を解任され、名誉会長に祭り上げられたのは、武雄が94歳の時のことである。事ここに至るまで武雄は、明確にバトンを渡していなかったのだ。

 ロッテグループのクーデター問題を追い、重光武雄について2冊の著書を上梓したフリーライターの松崎隆司は、2冊目の『経営者交代 ロッテ創業者はなぜ失敗したのか』で、アミューズメント関連事業大手のナムコ(現・バンダイナムコ)の創業者、中村雅哉に後継問題についてインタビューしたときの思い出を書き留めている。

 取材時の中村は80歳を超えていたが、「これまで会社を創業し道を作ってきた人間からすると、間違った選択をしないようにするのが肝心」と語った。中村の後継指名で驚かされるのは、娘とは離婚した娘婿だということである。松崎は、「そんな血縁関係を乗り越えての判断だった。それだけ手塩にかけて育て、経営の力を認めてきた人物を後継指名したということであり、その経営判断の徹底した合理性に驚かされるのである」と書いている。

 つまり経営とは、徹底した合理性の戦いであり、その最後の戦いが「事業承継」であるといえるのである。