地球誕生から何十億年もの間、この星はあまりにも過酷だった。激しく波立つ海、火山の噴火、大気の絶えまない変化。生命はあらゆる困難に直面しながら絶滅と進化を繰り返した。ホモ・サピエンスの拡散に至るまで生命はしぶとく生き続けてきた。「地球の誕生」から「サピエンスの絶滅、生命の絶滅」まで全歴史を一冊に凝縮した『超圧縮 地球生物全史』は、その奇跡の物語を描き出す。生命38億年の歴史を超圧縮したサイエンス書として、ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』著者)から「著者は万華鏡のように変化する生命のあり方をエキサイティングに描きだす。全人類が楽しめる本だ!」など、世界の第一人者から推薦されている。「未来を予測する現代の叙事詩」と本書を推奨する生物学者の更科功氏(武蔵野美術大学教授・東京大学大学院非常勤講師)に、『超圧縮 地球生物全史』の読みどころを寄稿していただいた。
人々は物語を通して世界を理解する
紀元前1650年ごろ、ギリシアのペロポネソス半島にミケーネ文明が生まれた。文字も使われ、その影響は地理的にも広がり、ミケーネ文明は発展を続けていくように見えたが、紀元前1200年ごろに終焉を迎えてしまう。
原因はよくわからないが、地震などの自然災害、気候変動による農業経済の崩壊、ドーリア人の侵略などの説があるようだ。
その後、ギリシアの人々は、都市の廃墟に暮らし、読み書きも出来なくなっていた。およそ500年後に、フェニキア人からアルファベットを学んで、読み書きの能力を取り戻すことになるのだが、そのあいだのギリシアは文化的に衰退していた。
そのため、この時代を「暗黒時代」と呼ぶこともある。
伝説の盲目の詩人ホメーロスが、不朽の叙事詩『イーリアス』や『オデュッセイア』を作ったとされるのは、この暗黒時代であった。
ホメーロスは記憶を頼りに『イーリアス』や『オデュッセイア』を朗読し、聴衆もそれを覚えて、他の人々に伝えていった。
これらの叙事詩は、地中海沿岸の地図の役割を果たし、さまざまな知識の宝庫にもなっていた可能性が高い。物語として語られた情報は記憶に残りやすいので、文字のない時代には、人々は物語を通して世界を理解してきたのである。
『超圧縮 地球生物全史』を読んで、思い出したのがこれらの叙事詩だった。かつて、人々は『イーリアス』で世界を理解してきた。
著者は世界的な権威の科学雑誌編集者
しかし現在なら、人々は『超圧縮 地球生物全史』で世界を理解することができる。地球の歴史のポイントはもれなく取り上げられているし、物語風になっているので、とても読みやすくて覚えやすい。
まさに現代の『イーリアス』だ。
しかも著者は、世界的に権威のある科学雑誌ネイチャーの編集者なので、とにかく情報が新しい。たとえば、人類の直立二足歩行に関連した話として、直立二足歩行をしていた化石類人猿ダヌビウスの発見がある。
どうやら直立二足歩行をしていたのが人類だけとは言えない状況になってきたうえに、直立二足歩行を始めた場所が地面ではなく木の上だった可能性が高くなってきた。
そういう話題もさりげなく取り上げられている。
ネアンデルタール人と私たち
また、著者の知識が幅広いために、科学における偏見のようなものがなく、安心して読んでいけることも特徴である。
たとえば、ネアンデルタール人が私たちヒトより頑丈な体格をしているのは、寒冷なヨーロッパの気候に適応したためであるという偏見がある。
しかし、本書では、ネアンデルタール人だけでなく、ホモ・ハイデルベルゲンシスも頑丈な体格だったことが、きちんと述べられている。
ホモ・ハイデルベルゲンシスはネアンデルタール人と私たちヒトの共通祖先である可能性が高い。そして、ホモ、ハイデルベルゲンシスはヨーロッパにも住んでいたが、もともとはアフリカで進化した人類である。
そのため、ホモ・ハイデルベルゲンシスが頑丈な体格をしているのは寒冷化への適応ではなく、太くて長い槍を使う狩りへの適応だと考えられる。
つまり、ネアンデルタール人が頑丈なのは、ホモ・ハイデルベルゲンシスの体格をそのまま受け継いだからであって、寒冷な気候への適応ではない。
ネアンデルタール人も私たちヒトも、寒冷な気候への対応は、火や衣服でしていたはずだ。むしろ変わったのは私たちヒトのほうであって、私たちは祖先のホモ・ハイデルベルゲンシスよりも華奢な体格に変化したのである。
地球の未来を予測
さて、『イーリアス』や『オデュッセイア』のような物語には、知識の伝達のほかに、もう一つ大切な役割がある。それは未来を予測することだ。
私たちは物語を通して、仮想世界で思考実験を行い、これからどんな行動をとるべきかを検討する。たとえば、2つある水源に実際には行かなくても、それぞれの道筋を想像することにより、どちらの水源に行くべきかを検討することができるのだ。
もちろん、現代の叙事詩である『超圧縮 地球生物全史』を読んでも、未来を予測することができる。でも、その未来は、あまり楽しい未来ではなさそうだ。
著者は、地球の歴史は、大きな2つの流れのなかにあるという。
一つは大気中の二酸化炭素が少しずつ減っていくことで、もう一つは太陽の明るさが少しずつ増えていくことだ。植物は光合成をして、地球のほとんどの生物を養っているが、その光合成の材料は二酸化炭素である。
その二酸化炭素が減っていくために、もうすぐ植物は光合成ができなくなって絶滅する(!)。そして、地球は、地下の鉱物から得られるわずかなエネルギーによって、少数の生物がなんとか生きていけるだけの星になってしまう。
でも、そんなことを心配する必要はないらしい。なぜなら、地球がそうなる前に、人類はとっくに滅亡しているだろうから(!)。でも、著者は、人類が地球の外へ飛び出すことに、わずかな望みを掛けている。
最後に一つ。
本書は内容に関しては真面目な本だけれど、だからといって、最初から最後まで真面目な顔をして読む必要はない。
だって著者は、ユーモアたっぷりに、こんな気持ちもカミングアウトしている。
「(私は飛行機のような)巨大な構造物を空中に飛ばすことは物理学的に不可能だと考える。旅客機が飛ぶのは、私たちが飛べると信じているからなのだ。もし、信じることをやめたら、空から落ちてしまう。それが私の本音だ。でも、誰にもいわないでください。私たちだけの秘密。いいね?」(p334)
もちろん読者のみなさんも、秘密にしてあげてくださいね。
更科 功(さらしな・いさお)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。武蔵野美術大学教授、東京大学大学院非常勤講師。『化石の分子生物学』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に『宇宙からいかにヒトは生まれたか』『進化論はいかに進化したか』(ともに新潮選書)、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史』(NHK出版新書)、共訳書に『進化の教科書・第1~3巻』(講談社ブルーバックス)、『若い読者に贈る美しい生物学講義』などがある。