自動車とバイクの発明は、個人の移動を革新した。そして「モータースポーツ」は、人々に移動の自由と、憧れを与える文化になった。前回は、『なぜひとは、バイクに乗ると「ワル」か「自由」になるのか?』についてお伝えした。今回は、山内裕教授がモータースポーツの聖地、アメリカに行き、モーターサイクルのカルチャーを取材。そのエピソードをもとに、アメリカのバイクカルチャーが現代において表現しているものは何なのかを読み解く。今回は山内教授とともに調査に同行したヤマハ発動機に勤める心理学者、末神翔氏にも話を聞いた。いま、世界的なバイクメーカーにとって、人文社会科学のような「非技術」の研究が、非常に重要な意味を持ちはじめているのだという。(構成:森旭彦)
バイクカルチャーが映し出す、アメリカの「世界観」
京都大学の山内裕教授は、2019年から2021年にかけてバイクカルチャーを探求する調査のためにアメリカへ向かいました。そしてバイクカルチャーに関わるアメリカ人25人(オンラインを含む)にインタビュー調査を行いました。この調査の目的は、アメリカの代表的なバイクカルチャーのひとつ「モトクロス」に挑む若者を対象とし、彼らがどのような「世界観」を表現しているかを探り、アメリカにとってのバイクとは何かを解き明かすことでした。
山内 裕(以下、山内) アメリカの荒野を駆けるバイクというのは、アメリカ人にとっての世界観を体現する格好の乗り物です。アメリカ人の世界観として今もなお影響力が強いものが、タバコの「マールボロ」の広告イメージや、映画などで描かれてきた「フロンティア・スピリット(開拓者精神)」です。そしてフロンティア・スピリットの中心をなす、「フリーダム(自由)」、「セルフ・リライアンス(他の誰にも頼らず、自分ひとりで生きていくことのできる自立心)」など、特徴的な世界観があります。調査では、これらの世界観に着目し、アメリカの若者がモトクロスを通して何を表現しているのかを探りました。
モトクロスは、オフロードバイクによる競技です。起伏に富んだ未舗装のレースコースをオフロードバイクで走り抜け、その順位を競うものです。モトクロスのプロレーサーになるためには非常に若い頃からのトレーニングが必要です。たとえば親がバイク乗りであるアメリカの家庭「モーターサイクルファミリー」に生まれた、プロを目指す子どもは3歳になったらバイクに乗り始めると言います。そして、家族総出で、プロレーサーになって成功を勝ち取ることにのめり込みます。つまり、典型的な「アメリカンドリーム」を目指すのです。
調査では、牧歌的なアメリカの風景が残る南部を中心に、自宅を訪問し話しを聞きました。その中で山内教授は、実際にモトクロスにアメリカンドリームを賭ける一家に出会いました。
山内 その一家は平均的に経済的余裕のあるミドルクラスに属しており、親は子どもをプロのモトクロスレーサーに育てようと必死でした。
山内教授が訪問した家の若い子は自分に才能があることを信じ、レースに打ち込んでいました。親も子どもを信じ、同じぐらいのめり込んでいました。アメリカの家庭では、しばしば子どもが親の過剰なアメリカンドリームに応えなければならない状況にさらされるといいます。そのため学校に行かず、練習に打ち込んでいる子どもも多いと言います。その結果として、子どもが集団社会やローカルコミュニティから孤立し、適切な教育も与えられない状況に陥る危険があるのです。山内教授が訪問した家庭は、学校は休まず行っていましたが、親の熱心さが印象的でした。
山内 1年間、アメリカ国内をレースで転戦するには新車の購入費用やトレーニング費用、メカニックの雇用等、諸々含めて1000万円程度の投資が必要です。ミドルクラスと言っても、両親は生活を切り詰め、なんとかやりくりしてそのお金を捻出していました。子どもは、自分で朝早く起きてトレーニングをし、ストイックに自分を律していました。子どもは他の誰かにどう思われようとも、自分の可能性をバイクレースに賭けるという強い意思を持っていました。そうしてひとつのことに打ち込む我が子の姿を、親は深く誇りに思っていました。
大いなるものの一部になる
この調査には、バイクカルチャーの専門家としてヤマハ発動機で心理学者として勤務する末神翔氏も同行していました。ヤマハ発動機は日本のバイクメーカーですが、国外市場が9割を占めます。中でもヤマハ発動機は、オフロードバイクによる北米のモトクロス市場を先駆的に開拓し、牽引してきました。
末神 翔(以下、末神) 実際のところ、現在のバイクの性能は、各メーカー間で必ずしも圧倒的な差があるわけではありません。では何がメーカーの持つ価値を支えているか。それは文化であり、世界観なのです。アメリカのモトクロスカルチャーは、それを体現しています。
末神氏は、ヤマハ発動機グループが主宰する「bLU cRU(ブルー・クルー)」を中心としたバイクコミュニティを、モトクロスカルチャーがつくりだした特殊な文化だと話します。
末神 ヤマハ発動機は10年ほど前から「bLU cRU(ブルー・クルー)」というアマチュアライダーのサポートプログラムを提供しています。このプログラムでは、レースの勝者にリワードを与える、パーツ代だけでレースのメカニックサービス(修理等のサービス)を提供する、メンバー限定のディナーパーティの主催などを行います。
アメリカのモトクロスカルチャーは、1960年代にヨーロッパから輸入されたことに始まります。その後人気のスポーツとなり、1970年代から本格的にショービジネス化が進んでいきました。すると、レーサーは次第に勝利に強く執着し、競争は激化しました。2000年代には勝利至上主義が際立ち、レーサー間の格差も大きくなっていきました。つまり、有望なレーサーには幼少時からスポンサーがつき、他のレーサーが追いつくことのできないほどの格差が生じていったのです。そうした背景の中でモトクロスカルチャーに「レースに勝つことよりも大事なこと」を見直す流れが生まれ、それがbLU cRUというコミュニティを生み出していったと考えています。
山内 インタビューをしていくことで分かったことですが、プロレーサーを目指す子どもたちは非常に孤独なのです。アメリカの国民的スポーツといえばやはりフットボールや野球です。モトクロスレースをしている子どもはほとんどおらず、学校でも孤独になります。そうした時に、連帯感を生み出すコミュニティが必要だったのです。そうした子どもたちを支えているのが、bLU cRUなのです。ここに所属している子どもたちは、“I am a part of something bigger(自分は何か大きなものの一部)”である感覚を共有しています。自分は孤独だけれど、何か大きなものとつながっている感覚があるということですね。
強い意思と闘争心によってレースで勝利するためのアメリカンドリームと、bLU cRUに代表されるように、アメリカでは同じ境遇にいる者同士をつなぐ、ゆるやかなコミュニティがバランスを取りながら実現されているということが明らかになりました。
末神 bLU cRUは、時代や文化の機微や矛盾を経験と感性で捉えた現場スタッフのアイディアが出発点になっています。山内先生との共同研究では、現場の経験知を客観的に構造化し、他の事例にも応用しやすいよう一般化することができました。現場の研ぎ澄まされた経験知と、客観的で俯瞰的な学術研究という2方向からアプローチすることで、社会やお客様を本質的に捉えられる確率が高くなります。
反抗のサブカルチャー「バイクライフ(#BIKELIFE)」
調査の中で、山内教授はアフリカ系の若い男の子がオフロードバイクでウイリー(前輪を上げて走行する方法)しながら公道を暴走する姿を発見します。それは「バイクライフ(#BIKELIFE)」と呼ばれる特殊な若者文化です(下記HYPE BEASTの動画参照)。
バイクライフは、一見すると暴走行為です。彼らは公道をオフロードバイクに乗って疾走しながら、さまざまな技(トリック)を繰り出します。ある者は座席に足で立ち、ウイリーして疾走する。またある者は、煙を立てながらホイールスピンする。それらの姿は、インスタグラムをはじめとするSNSで世界中に拡散されていきます。
彼らにとってバイクは、レースで順位を競うものではなく、互いの生き方を表現し共有する媒体なのです。そうして共感する者同士でつながるコミュニティなのです。
山内 彼らはレース用のオフロードバイクに乗って公道を走るという犯罪行為を犯しています。つまりはワルです。しかし、彼らは「バイクは自分たちを救ってくれた」と言うのです。彼らの多くは貧しい地域の出身者で、何もせずに時間を持て余すと、ギャングに取り込まれて犯罪者となり、抜け出せなくなります。つまり彼らにとって仲間とバイクライフに熱中することは、自分を守ることになるのです。
バイクライフを題材にして成功したラップミュージシャンが、貧しい子どもたちにバイク提供したり、Youtubeなどで有名になったライダーが子どもたちにバイクの乗り方を教えるスクールなどをつくって、ギャングの世界にいかないようにする動きも生まれているようです。
末神 ヤマハ発動機としては当然、違法行為を支持することは絶対にできませんし、有り得ません。しかし、文化の最前線の一例として彼らの表現や想いを客観的に調査することは、バイク文化の構造的理解と新たな文化創造という観点から重要だと感じています。企業はサービスやモノを造るだけでなく、それを使う人たちと共に文化を創っていく存在だと考えています。それは私たちがbLU cRUで体現してきたことですし、私たち、そしてヤマハを好きでいてくださるお客様が大切に感じてくれている「ヤマハらしさ」は、そうしたことから生まれているように思います。
バイクライフは、ヒップホッパーのパフォーマンスやファッションブランドのイメージにも取り入れられ、いまやヨーロッパを始め、世界中に広まる世界観になっているのです。
山内 反抗的なワルに見えるバイクライフは、ヒップホップやストリートファッションの形でビジネスとして成立するようになっています。ワルに陥いらないように自分を守ること、ワルだと怖がられ批判され取締られること、ビジネスとして成功することが同時に成立しているのです。このような矛盾する文化を読み解くことが、価値をつくり出すためには必要なのです。