コカ・コーラ、マクドナルド、リーバイスなどと並び米国を代表するブランドのハーレーダビッドソンが世界的に苦しんでいる。かつて80年代には経営危機に陥ったが、二輪車販売からハーレーの世界観を売るという「エンタメビジネス」へとモデルを変え、劇的に業績を回復させた取り組みは、ハーバード大学ビジネススクールのケーススタディーにもなった。だが、その成功モデルを他社が模倣する中、ハーレーの優位性は崩れ、守勢に立たされている。日本市場でいかに成長軌道へ乗せるのか。国内で英国の二輪車ブランド「トライアンフ」を急成長させた実績を買われ、昨年12月にライバルのハーレーダビッドソンジャパン社長に転じた野田一夫氏に話を聞いた。(聞き手・構成/ダイヤモンド編集部 松本裕樹)
自動車業界に約20年
40代で初めて二輪車業界へ
ハーレーダビッドソンジャパンの社長に就任したのは昨年12月。その前は英国の二輪車メーカーであるトライアンフモーターサイクルズジャパンで社長をしていました。
とはいえ、二輪車業界に身を置いたのは2013年からで、それまでは約20年間、自動車業界にいました。
最初に入社したのはマツダで、車両実験部に籍を置き、テストコースで燃費や加速性能などを実験する仕事をしていました。
しかし、バブル崩壊後の不況下で経営不振に陥る中、BMWジャパンに転職し、販売目標の設定や企画立案などを行う販売企画などに携わりました。マツダが競合評価するときのベンチマークがBMWでして、その走り感の良さを知っていましたし、プレミアムブランドのビジネスに携わってみたいを思ったからです。
その後、アウディジャパンの社長から、事業の立て直しのために販売部門責任者をやらないかと声を掛けられ、転職しました。
アウディでは新しいモデルを投入していこうとしている時期でして、このタイミングでブランドイメージを再び引き上げようとしていました。
私は販売企画部長や商品企画部長などを務め、在籍期間中に販売台数は倍増しました。
販売や商品企画、マーケティングなどのキャリアを重ねる中、もっとブランド全体を引っ張る総まとめのような仕事をしたいと思っていたときに、偶然、トライアンフから社長就任の話をもらい、40代にして初めて二輪車業界に移りました。
自動車も二輪車も基本的なビジネスモデルは同じです。また、BMWジャパンのかつての先輩がイタリアの二輪車メーカー「ドゥカティ」の日本法人社長に転身した先例もあったので、自分でもできるかなと思いました。