ビジネスで結果を出す人は「妄想」を手なづけ、圧倒的インパクトを生み出している。そのための手法を解説した書籍として、各業界のトップランナーたちに絶賛されているのが、戦略デザイナー・佐宗邦威さんによる『直感と論理をつなぐ思考法──VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)という一冊の本だ。
同書は、2019年に発刊されたにもかかわらず、ポストコロナ時代を生き抜くためのヒントに満ち溢れている。「つねに根拠ばかりを求める世の中」や「論理ばかりに偏った考え方」に違和感を抱く人には、共鳴する部分もかなり多いはずだ。
本稿では、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏も絶賛のコメントを寄せたこの名著のなかから、選りすぐりの箇所を抜粋・編集してお届けしていくことにしよう。

「シンプルでわかりやすい情報」は、脳のどんな機能を退化させるのか?Photo: Adobe Stock

「シンプルでわかりやすい」のなにがいけないのか

 情報洪水の現代においては、シンプルであること、わかりやすいことは、どこまでも「善」だとされる。

 複雑な出来事をすっきりとした構図で整理するニュース解説者がもてはやされ、難解で長大な書物を図やマンガに編集した書籍がベストセラーになり、ヘッドラインだけで反応したくなるウェブ記事がバズり、件名や挨拶文を省略したメッセージアプリが人気を博する──そんな時代である。

「このスライド、すごくシンプルだね!」と言われれば、それは称賛を意味するし、上司から「ここはちょっと複雑だなあ」と言われれば、それは「修正すべきだ」ということに等しい。パワーポイントなどの教則本にはたいてい、「1スライド・1メッセージが基本」と書かれている。

 たとえ現実がどんなに複雑だとしても、あえて細部を切り落として加工した「現実」のほうが好まれるというわけだ。

「わかりやすい」というのは、情報がシンプルに咀嚼されていることだけを意味しない。

 たとえば、自分に無関係な情報がびっしり敷き詰められた「日経新聞」よりも、友人・知人・有名人の近況が並んだTwitterやFacebookのタイムラインのほうを僕たちは眺めてしまう。

 そのほうがはるかに「快適」だからだ。

 これと同様、アマゾン上のリコメンド商品には、「読みたい本」「ほしい商品」が並んでいるし、ウェブ上では過去の閲覧行動をもとにした「ターゲティング広告」を見ない日はない。

 テクノロジーのおかげで、僕たちは世界をとてもよく見通せるようになったと感じている。

 複雑で雑多な情報が、整然とシンプルなかたちにまとめられ、すっきりと頭に入ってくる気がする。

 しかし、おそらくそれは誤解だ。

 僕たちが触れている情報は、個人に最適化された「断片」でしかないからだ。

「シンプルさ」「わかりやすさ」を突き詰めるほど、僕たちの視野は狭まるようになっている。

 たとえば、かなり前の話にはなるが、アメリカの大統領選挙でドナルド・トランプの当選を望んでいなかった人たちは、選挙期間中にニュースやSNSを見ながら、「世の中は反トランプ派がほとんどだ。まさか彼が勝つはずがない」と信じていたはずだ。

 どんなに知能が高い人でも、フィルタにかかる情報を「世界のすべて」だと考えてしまい、視野に入ってこないものは「存在しない」と勘違いしてしまう。だからこそ、大統領選挙のような機会がない限り、自分の世界認識の歪みに気づき得ないのである。

 情報のレイヤー化、タコツボ化が招くより大きな問題は「思考や発想の無個性化」だ。

 逆説的なことに、「個人向けにカスタマイズされた情報」に触れれば触れるほど、個人の頭のなかは「ほかの個人」と同一化していき、人と同じようなことしか考えられなくなる

 これがビジネスの文脈であれば、レッド・オーシャンでの血みどろの競争に、個人レベルでは、言い知れぬ停滞感に行き着く。

頭を「タコツボ化」させないために必要な「知覚力」とは?

 そこで注目したいのが「知覚」である。

 知覚(Perception)とは、単に「熱い」とか「冷たい」といった感覚(Sensation)とは異なる。ヤフーCSO(最高戦略責任者)で脳神経科学者でもある安宅和人氏は、知覚について次のように語っている。

「『知覚』とは非常に簡単に言えば対象の意味を理解することである。もう少していねいに言えば、自分の周りの環境を理解するために知覚情報を統合し、解釈することだ。したがって、たとえばカメラはあくまで記録装置であり知覚しているわけではない。(…中略…)人間は価値(意味)を理解していることしか知覚できない。知覚できる範囲はその人の理解力そのものだ」(安宅和人「知性の核心は知覚にある」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』2017年5月号)

 同じ情報からどのような意味を「つくる」かは、本来、人それぞれである。

 たとえば、戦場における兵士の生死を分けるのは、(運の強さを除けば)五感から得られるごく限られた情報や、これまでに学んだり触れたりしたすべてから導き出される判断だ。視力や聴力が優れているだけでもダメだし、ましてや学生時代の成績は「生き残れるかどうか」とはほとんど関係ない。

 前に進むべきなのか、後ろに下がるべきなのか、それとも物陰に隠れるべきなのか──状況判断の優劣は、情報から独自の意味をつくり出す「知覚力」が左右する

 この意味で、情報のタコツボ化とは、知覚力が失われている状況であり、目隠し・耳栓をされたまま戦場に送り込まれる兵士たちのようなものだ。

 無線から送られてくる命令だけに従う兵士たちは、全員が同じような行動を取るしかないため、全滅のリスクが高い。

 テクノロジーが与えてくれる「シンプルでわかりやすい世界」のタコツボを避け、「自分視点で考えること」に関心を持つ人にとって、知覚力は決定的に重要な意味を持っている。

直感と論理をつなぐ思考法』のなかでは、そうした力を磨くための具体的な手法も紹介したが、自分の奥底から取り出した「妄想」を現実を動かす「アイデア」へと洗練していくうえでは、まさに知覚による統合・解釈のプロセスが不可欠なのである。