1989年4月、北京の天安門広場にある人民大会堂前で数百人の大学生が行っていた平和的な抗議活動が4週間半の間に膨れ上がり、大規模デモに発展した。デモには学生や労働者に加え、政府や党の関係者も参加した。北京以外でも300を超える中国各地の都市で同様の抗議デモが発生した。対照的に、新型コロナウイルスの感染対策に反対する最近のデモは、最初の数日こそ猛然と抵抗を示したものの、いまや勢いを失いつつある。3年続く厳格なコロナ抑制策への国民の怒りは根深くかつ広範囲に広がっているが、習近平国家主席は30年前の指導者よりはるかに厳しく国家を支配している。1989年のデモが危機の規模にまで拡大したのは、中国共産党指導部が割れていたからだ。党総書記の趙紫陽氏は、学生は愛国心が強く、学生の改革要求は筋が通っていると考えた。趙氏には、学生を説得し、改革を約束してデモを平和裏に解散させたいという思いがあった。首相の李鵬氏は、隙を見せれば社会集団が次々と共産党に要求を突き付け、体制の終焉を招くと主張した。その他の指導者は趙氏に付く者と李氏に付く者とに分かれた。
中国で「新たな天安門事件」は起きない
デモ参加者は政府の抑圧的な「ゼロコロナ」政策にうんざりしているが、政権は依然として習近平氏の下で一致団結している
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