中国のゼロコロナ政策は、各地で行われた抗議活動をきっかけに突如、緩和された。市民の要求を異例の速さで実現したゼロコロナ緩和措置は意表を突いたが、緩和の喜びもつかの間、中国社会は混乱に陥った。市民の力が国の政策を変えたこの足跡の意味は大きいが、果たしてこれが「中国新時代の幕開け」につながっていくのだろうか。(ジャーナリスト 姫田小夏)
抗議の声は無視することもできた
間もなく幕を閉じる激動の2022年、中国の人々にとって最大のニュースは他でもない“ゼロコロナ政策の緩和”だ。12月半ば、都内在住の中国人の友人たちはみなこれを喜んでいた。措置の緩和は感染拡大を生み、かえって市井に混乱をもたらしているが、「一時的には感染拡大の反動があっても緩和すべきだ」というのが彼らに共通した考えだった。
ゼロコロナ政策がもたらした悲劇は“移動の不自由”に加え、失わなくていい命が失われたことだった。その典型が新疆ウイグル自治区でのマンション火災だ。封鎖措置によりバリケードが敷かれ、扉は針金で固定され、救助隊が駆けつけても容易に現場に入れない状況だったからだ。
類似のケースは他にもあった。甘粛省蘭州市では3歳の子どもが救命措置を求めていたが、同じような理由で命を落とした。3歳といえば、ちょうどコロナ感染拡大前後に誕生した命だ。戸外で太陽を浴びることもなく、隔離とPCR検査の繰り返しだけで生涯が尽きた我が子に対する父母の無念は計り知れない。また、都市封鎖による経済の悪化で職を失い路頭に迷う人々も無数に存在する。
こうした市民の怒りは国家主席である習近平氏に向けられ、上海では、中国で異例ともいえる“名指し”の抗議活動さえ行われた。抗議活動はあっという間に鎮圧されたが、ゼロコロナ政策の規制は緩和された。
ただ、10月下旬に行われた第20回共産党大会の開幕前夜にも、北京では市民が横断幕を掲げてゼロコロナ反対を訴えていたが、習氏は微動だにせず報告書の中で政策の継続を示していた。「ゼロコロナ政策」は習政権の“揺るぎない国家統治モデル”とみなされていたのだ。
それだけに、11月末に起こった同時多発デモを契機とした緩和への転換は注目に値する。