当時、日本では2年後の92年に迫った欧州共同体(EC)統合、すなわちECでヒト・モノ・カネの自由な移動を認める地域経済の統合が話題となっていたが、「EC統合のイニシアティブをもっているのはフランスですが、しかしフランスにとって今、東西ドイツの統合への動きは、92年のECなんて言ってられない重大問題です。英国にとってもそう。東欧の大変革、それに伴ってソ連の中がどうなるか。(中略)全く新しい世界経済のリストラクチャリングが起きつつある」と盛田は喝破している。
実際、91年にはソビエト連邦が崩壊。東欧諸国や解体したソ連から生まれた国々が資本主義国家に転換し、ECに続々と加盟する。そして、93年には経済に加えて外交・安全保障と司法・内務問題も統合の枠組みの中に取り入れられ、欧州連合(EU)が発足する。さらに、統一を達成したドイツがヨーロッパにおける主導的な立場を持つようになったのは周知の通りだ。日本を代表する国際派経済人として、さすがの慧眼である。
また、冒頭では89年9月に約4800億円(当時の為替)で買収した米大手映画会社コロンビア・ピクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)の話題に触れている。盛田は、「ハードからソフトへ」という路線を掲げ、68年に米CBSとの合弁でCBSソニー(現ソニーミュージックエンタテインメント)を設立し、一気に国内音楽市場でトップに立つと、88年に本家CBSレコードを買収していた。コロンビアの経営は90年代を通じて苦戦し大きな損失をもたらしたが、エンターテインメント分野に加え金融分野にも参入し、ソニーグループを製造業だけに依存しない構造に導いたのは盛田の功績であるのは言うまでもない。
「世界の経済情勢やお客さんの趣味趣向は、どんどん変わりつつある。その変化をキャッチアップできるかどうか、先取りできるかどうかに会社の格差が出てきているのではないか」と盛田は言う。当たり前のことを言っているようだが、90年代以降の日本が、「失われた20年」と呼ばれるほどに変革を成し遂げられなかったことを思えば、その指摘は重い。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)
コロンビア買収は
決して思い付きではない
――例のコロンビア映画の買収では世界的な話題を呼びましたが、その間にソニーが得たものと、失ったものは、あえて言えば何だったでしょう。
うちのコロンビア買収は、私たちのフィロソフィーとポリシーの上に乗った一つの付随的な事件でした。ハードウエアを作る技術で世の中の文化に貢献していこうというのが井深大さんと私の理想だった。井深さんが今度文化功労賞に顕彰され、エレクトロニクスによって文化に貢献したことを公に認められたことは、私にとっても本当にうれしい。
祝辞を述べようと思って、井深さんが1946年に書いたわが社の創立趣意書を出して読んでみると、「日本再建(もちろん終戦の時ですからね)、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動」と書いてある。46年にすでに井深さんは、会社創設の目的の中に、技術を使って文化に貢献すると書いているのです。
技術で貢献して、テープレコーダーを作っている間にプリリコーデッドテープ(録音済みソフト)が生まれ、われわれは、ソフトがあるとがぜんハードのビジネスが増えることを知った。そこでレコードの会社をやろうと思い始めたことが、ソフト進出のきっかけでした。レコード会社をやっている間にCD(コンパクトディスク)ができてきた。CDもうちがレコード会社をやっていたから物になった。当時は、今までのレコードをふいにするようなものに音楽を入れてくれるレコード屋さんはいないわけです。うちで日本最大のレコードのソフトウェア会社を持っていたから、あの技術が本当に生きたのです。