今から思えば、1980年代は盛田昭夫の時代だった。間違いなく盛田さんは時代の華でした。盛田さんは、89年に米コロンビア・ピクチャーズの買収(買収金額は過去最高のおよそ4800億円)をトップとして決断しました。いかに日本がバブル経済に踊っていたとはいえ、驚天動地の買収劇でした。では、一体なぜ盛田さんは、ソニーにとってまったくの未開拓地だった「映画」という世界に飛び込んだのか。
※『人生の経営』(出井伸之著・小学館新書)から、一部を抜粋し編集
社員の意識を変える戦い
僕は社長就任当時、インターネットの勃興、デジタル時代の到来から、いずれ経済の主流は無形資産の企業に移ると思っていました。だから、「製造業のソニー」を「無形資産のソニー」に転換しようと考えていました。僕の社長時代の10年間はその戦いだったと言えます。
新しい利益指標である「EBITDA(金利・税金・償却前利益)」と新しい経営指標である「EVA(経済的付加価値)」などの導入も、どれだけの人がその必要性を理解したか不明です。いまだに多くの人は原価率の世界に意識は留まっているのではないでしょうか。日本において、資本コストの概念が著しく希薄だと思います。
僕の戦いは、社員の意識を変える戦いでもありました。周りからは「10年早い」と言われ続けてきましたが、ソニーはこうした大きな変化を受容できるというか、面白がれる会社だと思っていました。
僕がそう思ったのは、やはり強烈な“盛田体験”があったからだと思います。
大げさな言い方ですが、今から思えば、1980年代は盛田昭夫の時代だった。間違いなく盛田さんは時代の華でした。
盛田さんは、1989年に米コロンビア・ピクチャーズの買収(買収金額は過去最高のおよそ4800億円)をトップとして決断しました。いかに日本がバブル経済に踊っていたとはいえ、驚天動地の買収劇でした。当時はソニーの社内でも、衝撃が走りました。
では、一体なぜ盛田さんは、ソニーにとってまったくの未開拓地だった「映画」という世界に飛び込んだのか。