すでに述べたように、集団的な「無責任」状態に陥らないようにするために、あらかじめ定めた「撤退基準」は厳格に運用する必要がありますが、それを盲目的に守ればいいというわけではありません。

 なぜなら、実際に事業を始めると、それまでとは比較にならないほど大量に、経営判断に資する「質の高い情報」が手に入るようになるからです。

 つまり、起案時に設定した「撤退基準」は、十分な情報がないなかで、あくまでも「仮」に設定したものにすぎないということ。「質の高い情報」によって前提条件に変化があることがわかったにもかかわらず、当初の「撤退基準」に闇雲に執着するのは決して賢明なことではありません。

 例えば、現時点では、事業展開に苦戦していたとしても、「情報」を分析した結果、もう少し我慢すれば、市場環境が劇的に改善することが判明したとします。それでも、当初の「撤退基準」にこだわって、目の前に広がる事業機会を逃すのは愚かと言うべきでしょう。

 そのような場合には、柔軟に「撤退基準」を見直す必要があります。

 ただし、それを安易な形で行うと、集団的な「無責任」状態に陥ってしまいかねませんから、その議論には厳格性が求められます。

 大切なのは、「撤退基準」の論拠を徹底的に掘り下げることです。起案当初にどういう論拠に基づいて「撤退基準」を決めたのか? 新たに入手した「質の高い情報」によって、その論拠のどこに錯誤があることが判明したのか? 新たな「撤退基準」を定める論拠は何か? こうした合理的な議論を徹底的に行ったうえで、新たな「撤退基準」を策定し、それを厳格に運用していく必要があるのです。

厳格な「撤退基準」の存在が、
成功確率を上げる理由

 このように、「撤退基準」には厳格性が求められます。

 繰り返し述べてきたように、この「撤退基準」の厳格性は、集団的な「無責任」状態を回避するという目的があるわけですが、実は、それ以外にも、非常に重要な効果をもたらすことを指摘しておく必要があります。結論を急げば、厳格な「撤退基準」を設定することによって、事業の成功確率が上がるという効果が生み出されるのです。

 なぜか?

 通常、「撤退基準」は、「1年以内に顧客企業数が120社を超えなければ撤退」などという形で、「期限(1年以内)」と「目標数値(120社超)」が設定されます。そこから逆算することで、現場は「撤退基準」をクリアするために「やるべきこと=アクション・プラン」を明確化することができるからです。

 例えば、「1年以内に120社超の顧客企業の契約を獲得する」ためには、「毎月10社超と契約する」という目標にブレイクダウンしたうえで、「毎月10社超の契約を獲得するためには、最低でも毎月100社にはアプローチしなければならない」などと明確なアクション・プランを策定することができるわけです。

 あとは、これを「やり切る」だけです。

 チーム・メンバー全員が、「撤退基準」を共有して厳格に受け止めているならば、必ず、切迫感をもって、このアクション・プランを遂行してくれます。もちろん、ただ「数」をこなすだけではありません。「結果」を出すために、メンバー同士で「情報」や「ノウハウ」を共有しながら、行動の「質」も高めてくれるに違いありません。

 プロジェクト・リーダーが、それを全力でバックアップすることによって、士気を維持・向上させることができれば、確実に成功確率は上がるはずです。少なくとも、「撤退基準」を明確にしないまま走り始めるよりも、ゴールに辿り着く確率は絶対に高くなると断言してもいいでしょう。

「よい失敗」と「悪い失敗」

 とはいえ、新規事業の成功確率はそもそも高くはありません。

 だから、アクション・プランを真摯に「やり切った」としても、残念ながら、「失敗」に終わることのほうが多いのが現実です。しかし、「やり切った」うえでの「失敗」は、組織に多くの知見をもたらしてくれます。

 例えば、「毎月100社超にアプローチする」というアクション・プランを「やり切った」にもかかわらず、「1年間に120社超の契約獲得」ができなかったのだとすれば、そもそものサービス内容に問題があった可能性が高いと言えるかもしれない。

 しかも、膨大な数の企業にNGを出されたわけですから、その営業プロセスで得られたさまざまな情報から、「より企業のニーズに合ったサービスは何か?」を探るヒントも見つかるに違いありません。

 一方、「やり切る」ことなく「失敗」した場合には、「もっと、◯◯していれば成功したかもしれない」といった曖昧な反省をするのが関の山。それでは、「成功」に向けた事業プランを生み出すだけの知見をもたらすことはないのです。

「花形部門」では仕事力が鍛えられない理由

 また、担当者個人にも多くの「果実」をもたらしてくれます。

 まず第1に、「やり切る」ことで確実に実力がついています。

 おそらく、「失敗」に至るプロセスでは、なんとか「撤退基準」をクリアすべく、「毎月100社」ではなく「毎月120社」にアプローチするなど、アクション・プランのハードルを上げたはずです。これが、私たちをおおいに鍛えてくれるのです。

 ウェイト・トレーニングと同じです。厳しいトレーナーは、意地悪なものです。「スクワット50回やってね」と言ったにもかかわらず、大汗かきながら50回を終えようとしたときに、「は~い、あと20回ね」などと笑顔で言う。やらされる側からすれば、そのトレーナーは「鬼」ですが、この「20回」を「やり切る」ことでこそ筋肉は鍛えられるのです。

 率直に言って、新規事業の立ち上げという仕事は、アスファルト舗装のされていない悪路を泥にまみれて匍匐前進するようなもの。ビジネスモデルが確立された──すなわちアスファルト舗装された──「花形部門」で仕事をするほうが、よほどかっこよくて、「結果」も出やすいでしょう。しかし、泥にまみれて「やり切る」ことで、たとえ「失敗」に終わったとしても、彼らとは比べものにならないほどの「実力」を身につけているのです。

「やり切ったうえでの失敗」は、
むしろ「評価」を高めてくれる

 第2に、しかるべき人は、「成功」したか「失敗」したかではなく、どんなに苦しくても逃げずに「やり切ったかどうか」を見ています。そして、たとえ「失敗」に終わったとしても、「やるべきことをやり切った人物」に対して信頼を深めるとともに、高い評価を与えるのです。

 かつて、仕事をご一緒したことのある、名経営者の言葉がいまも忘れられません。その方は、こうおっしゃいました。

「花形商品の営業担当をやったら、誰だって売れますよ。それで勘違いして、鼻を高くしているような社員はダメですね。それよりも、たとえ”失敗”したとしても、難しい仕事を”やり抜いた”人間は強い。そういう人間は信じられる。いつか必ず成功する。だから、もっと大きな仕事を任せたいと思うんですよ」

 もちろん、こういう経営者ばかりではないでしょう。なかには、表面的な「成功」しか見えないような経営者もいるのが現実。しかし、私は、この言葉を信じたい。「やり切る」ことは、強く生きるために欠かせない「ディープ・スキル」だと思うのです。

(本記事は『Deep Skill ディープ・スキル』(石川明・著)から抜粋・編集したものです)