ガーシー氏は選挙活動で、「白票を入れると思ってガーシーに投票してください。白票よりも役に立ちます」と言ったわけではない。しかし、結果的に彼の存在と当選とは、選挙が不完全であることや、選挙で選ばれた政治家の価値に疑いの余地があることを、「白票」よりもはるかに効果的に可視化した。

 開票速報を見ながら「ガーシーが当選するなんて世も末だ。こんな国にはいたくないよ」と言った人物が筆者の近くにいた。筆者もその時に同意してうなずいたのだが、考え直すと「今の日本はNGだ」という意見を表現することにおいてなら、ガーシー氏への投票は役に立ったと言わざるを得ない。ガーシー氏に投票した有権者たちを見直さなければならないのかもしれない。

当選しても議員活動をしない
「白票党」を作ったらどうなるか

 簡単な思考実験をしてみよう。例えば「白票党」という政党を作って、「白票○○」(○○は選挙区の地名)という名前の候補者を立て、「私は当選しても一切議員活動を行いません。歳費は全てユニセフに寄付します。議会への不信任を可視化するために私に投票してください。白票を見える化して、政治不信を訴える声を上げましょう!」と運動したらどうか。

 小選挙区全てに候補者を立てたら、小選挙区を制することはできなくても、比例代表や比例復活で当選する者くらいは出るかもしれない。「比例○○」という仕組みがばかばかしいと思う向きには、有効な批判の手段になるのではないだろうか。

 選挙で白票を投じても、有権者は、徒労感を伴いつつ瞬間的な自己満足を味わうだけだろう。そして、白票は何事もなかったかのように無視されて、白票ではない投票の多数決で否応なしに当選者が決まって、後には何も残らない。

 今回は、ガーシー氏という個人は残念だったが(と筆者は思うのだが)、国会や選挙への不信を議席の形で可視化したことには意味があったのではないか。

 率直に言うと、筆者は、前回の参議院選挙で投票したいと思う政党がなかった。こうした場合、与党に対する批判票として有効になり得る野党の候補者を探すのが常だったが、たまたま耳にした野党候補の経済政策があまりにもひどすぎた。「白票」を議席に変えてくれる候補者がいたら投票したかもしれない。