欧州系の銀行を席巻した
「投資銀行」という悪夢

 1990年代、ヨーロッパの銀行は軒並み「米銀化」した。米銀と書くと正確ではないかもしれない。より正確には、「米国の投資銀行ビジネス」にかぶれた。

 投資銀行というと気取った響きがあるが、要は証券会社のビジネスだ。具体的には、自己資金を用いた、大規模なトレーディング、株式・債券の引き受け、M&A(企業や事業の合併・買収)の仲介ビジネスなどを指す。

 これらのビジネスの「ディール」は、リスクも大きいが、うまくいった場合の収益も大きく、ディールをまとめたプレイヤーの報酬も大きい。

 それまで、就職先としてのヨーロッパの金融機関は、大まかに言って「報酬はそこそこだが、クビにはなりにくい」という評判だった。他方、米国の投資銀行は「クビになりやすいけれども、報酬は大きい」職場であった。

 スイス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの銀行は、一つの金融機関で銀行業と証券業を両方行うユニバーサルバンクのスタイルだった。当時、銀行として大きな資金力を持つヨーロッパの銀行の投資銀行業務進出に対して、米国の投資銀行や日本の証券会社が、太刀打ちできなくなるのではないかという危機感が台頭した時期があったことが思い出される。

 クレディ・スイスは、米国の投資銀行であったザ・ファースト・ボストンと1978年に提携して、88年には同社を買収しており、欧州銀行の米銀化の先頭ランナーの一つであった。

 おそらく、このザ・ファースト・ボストンの買収が、クレディ・スイスに米国型の投資銀行の毒がしっかりと組み込まれた不可逆的な転機だったのだろう。徐々に米国流をまねするのではなく、毒は一気に全身に回った。毒と体質とが戦うのではなく、毒は体質の一部になって、体質自体を支配するようになった。

 では、堅実な金融業の伝統は、投資銀行の毒に勝てないのか?

 経済の世界では、残念ながら「悪化が良貨を駆逐する」場合が多いのだと言わざるを得ない。