たとえば、ゲンを担いで“何か”をしたとしましょう。もし、それで負けてしまったら、もうその“何か”は使えなくなってしまいます。
「あのG1を勝ったときの鞭だから」として、その鞭をゲン担ぎの対象としたとします。その鞭を使って、負けてしまったらどうでしょう。「縁起が悪いから……」と次からは使えなくなりますよね。
でも、さすがに鞭は使い捨てにはできません。鞭に限らず、そんなことを繰り返していたら、使えるものがなくなってしまいます。
それ以前に、そんなことを考えること自体が僕は嫌です。
自分が下手に乗ってしまったのであれば、素直に反省すればいい。
下手に乗っていないのに負けてしまったのであれば、もっといい競馬ができなかったかなと考えて反省はするけれど、悲観する必要はない。
それだけだと僕は思うのです。
何度でも言いますが、ジョッキーとは圧倒的に負けることが多い仕事。だから僕は、ゲンを担ぎません。
「いつもの自分」を保つために
同じメニューを食べる
週末の朝、僕はいつも同じものを食べます。競馬場によって用意されているメニューは違いますが、大抵はカレーを食べています。
これはゲン担ぎではありません。いつも同じものを食べて、同じ胃袋の状態にして、同じ消化の仕方をしたいから。つまり、週末の体調を一定に保ちたい、目的はそれだけです。
違うものを食べて、「なんか胃が重いなぁ」「胸焼けがするなぁ」と体に変調をきたしたとしたら、それは“いつもの自分”から外れてしまいます。ただでさえ、不可抗力の波がある仕事ですから、自分に隙を作りたくないのです。
自分が常に同じ状態で競馬に挑んでいれば、結果がよかろうと悪かろうと、それはその日の流れだと受け止められます。
もちろん、レースの中で細かな変化は施しますが、いつも通りの自分で当たり前のことを当たり前にやった結果であれば、あとはもう勝負の流れだと割り切ることができます。
「いつもの自分」だからこそ
あきらめる勇気が湧く
それとは別に、競馬が始まる前に「あ、今日はマズいな」と思う日もあります。
たとえば、調整ルームのお風呂から出ると、バスタオルが積んで何列か並べられているのですが、そのうちの1枚を迷わず瞬時に手に取る日もあれば、どれを取るか一瞬迷う日もあるのです。
不思議なもので、どれを取るか迷った日は、レースでも道に迷うことが多い。手が迷った時点で、「正しく直感が働いていない」ということなのでしょう。
そういう日は、「今日の俺は普段よりも判断能力が鈍っている」という自覚を持ってレースに臨みます。
本能に判断を委ねるのではなく、いつもより一歩手前で考えて、判断をする。どんなに自分を一定に保とうとしても、人間ですから、やはり揺らぎはあります。
だからこそ、それを敏感に感じ取って、調整することも大事だと思っています。
とはいえ、そもそも走るのは馬ですから、「ジョッキーにスランプなんてない」というのが僕の基本的な考えです。
なぜか思うような競馬ができないことが続くのであれば、それは単純に技術不足。たとえば、自分の気持ちをコントロールできずに判断ミスを繰り返したとしても、それはスランプではなく、技術不足、経験不足ゆえだと僕は思います。
『頂への挑戦 負け続けた末につかんだ「勝者」の思考法』(KADOKAWA)川田将雅 著
ジョッキーは、積み重ねからなる技術職。急に下手にはならないし、急に上手くなることもありません。
人間ですから、誰もがたまにはミスをするけれど、トップジョッキーと言われる人たちが判断ミスをし続けることはありません。メンタルを含めての技術だと僕は思いますし、流れが悪くてもジタバタせずに、
「今日はこういう日だ」と受け入れてあきらめる、または自分で微調整をする──。
「普段からやるべきことはすべてやっている」という自負さえあれば、そうやってあきらめる勇気が自然と湧いてくるはずです。







