なんのかんの言ってはみたものの
やはり受け入れがたいコオロギ食

 なぜコオロギ食はここまで批判されるのか。筆者の考える理由は二つである。

・そもそもコオロギへの嫌悪感がすさまじい
・アンチ「コオロギ食」一色の世論に、全体の傾向がさらに引っ張られている

 前者だが、コオロギというのはやはり昆虫の中でもかなり気持ち悪い部類のフォルムなのである。「ゴ」で始まる4文字のあの昆虫を“気持ち悪さ100点”とするなら、コオロギはそれに結構似た形をしているのでゆうに80~90点くらいはマークできる。だから栄養価が高かろうが環境にやさしいスーパーフードだろうが、根源的に「コオロギが許せない」のである。

 そうした感情がベースにあるので、その正当性を補強するために種々のアンチコオロギ食論が出てくるし、それに対する反論を認めにくい。

 コオロギ食の安全面に関する議論などは、よほど顕著である。「コオロギにはえび・かにに類似する成分があるので、アレルギーの人は気をつけるように」とはよく説明されているのだが、「そうはいってもコオロギって細菌がすごいんでしょ」と思われがちだ。

 その論拠として内閣府が2018年に発表した「欧州食品安全機関(EFSA)はヨーロッパイエコオロギについてリスクあり(好気性細菌数が高い)と発表」という記事が取り上げられて説明されたりするのだが、EFSAが2022年5月に改めて発表した「ヨーロッパイエコオロギの部分脱脂粉末は安全」という記事については、意図的になのか触れられずにいたりする。否定派はとにかくコオロギを否定したいので、コオロギを肯定する科学的根拠なんぞは必要ないかのごとしである。

 世論・多数派の牽引(けんいん)力というのもすさまじい。筆者はかなりあまのじゃくな性格だが、それでも大勢に引っ張られるのを自覚する。筆者は実は、2021年にコオロギを試食しコオロギを礼賛するような記事を書いた。ゲテモノ食材を克服した満足感と興奮に包まれながら、「SDGsにはあまり興味を持てていないがコオロギ食が有益なアプローチとなるなら歓迎したい」というスタンスであったが、今回のコオロギ食炎上を見るにつけ、「たしかにわざわざコオロギを、無理して推す必要もないよな…」と考えるようになるくらいには、世論から影響を受けたのであった。

 もろにコオロギの形をとどめた乾燥コオロギを食べて「意外とおいしい」と思った体験を持つ筆者がこうなのだから、コオロギ食体験のない人の懐疑的な気持ちは、世論によって激しくあおられているはずである。

 今回のコオロギ給食を発端として起きたコオロギ食論争において、アンチコオロギ食論で大勢が決する中、各主張を改めて見て思わされたのは「みんなコオロギが嫌いなんだな」という、ごくごくシンプルだが見えにくくなっている人々の思いであった。

 冒頭に書いたが、コオロギへの理解を深めるという意味においてこの炎上は有意義であった。人類史では未知であったコオロギ食が、SDGs的だからといってほぼ思考停止のまま持ち上げられるのではなく、今まさにようやく、本当の意味で人類によって試され始めたのである。淘汰されるか否か、コオロギ食の正念場である。