私は以前、あるインド人の教師と、日本人の生徒の、こんなやりとりを聞いたことがあります。
「先生、私には好きな人がいます。どうすれば、その人に愛されますか?」
「あなたは、なぜ、その人に愛されたいのですか?」
「愛される幸せが欲しいからです」
「あなたは、幸せが欲しいのですね。あなたが欲しい幸せは、一時的な幸せですか?それとも永遠の幸せですか?」
「永遠の幸せです」
「その人は、あなたに永遠の幸せを与えることができるのですか?」
「いいえ。それは無理だと思います」
「それでは、なぜ、その人に愛されたいのですか?」
「彼が私を愛してくれたら、私も、自分を愛することができると思うのです」
「つまり、あなたは、自分を愛したいのですね。自分を愛していないのですか?」
「あまり愛していないと思います」
「あなたが愛していない人を、あなたの好きな人が愛してくれると思いますか?」
「…いいえ」
「彼が理由もなくあなたを愛してくれるのを待つのと、はじめから自分を愛するのと、どちらが簡単だと思いますか?」
「それは、自分を愛することです」
「それでは、なぜ、その人に愛されたいのですか?」
この日本人の生徒が、好きな人に好かれたいと願ったように、私たちは、目の前にある目標を達成すれば、よろこびや楽しさを感じ、幸せになれると信じています。だからこそ、夢を持ち、努力することができるのです。
ところが、ひとつの目標を達成して、ひとときの充足感や高揚感をかみしめたら、私たちはすぐに次の目標を見つけようとします。それは、せっかく味わえた幸せがあっけなく消えてしまい、ほんとうの幸せをもたらしてくれなかったことに気づくからです。
私たちが「ゴール」だと思っている目的や目標は、実は、どれも単なる「道しるべ」にすぎません。私たちが心の底から求めているものに向かって進むために、途中で通りすぎるだけのものです。
その道しるべを通る道は、大きなまわり道かもしれません。ほかに、もっとなだらかで景色のよい道があるかもしれません。たったひとつのゴールだと信じていたものが、無数にある道しるべのひとつであり、そこを通りすぎたあとにも今までどおり人生は続くのだと知れば、過剰な不安やプレッシャーを手放すことができます。
私たちが求めているのは、ほんとうの幸せです。普遍的で、絶対的な幸せです。それは、「成功」や「勝利」のような相対的なものではありません。努力して手に入れたり、奪い取ったりできるものではないのです。
目標を掲げて努力することが悪いことだとは言いません。心配なのは、未来への不安に心を奪われて、今この瞬間を大切に生きることができないことです。今この瞬間、そこにある幸せに気づくことができないなんて、もったいないとは思いませんか?
(次回は2月22日公開予定です。)
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