ムツゴロウさんが「娘」のヒグマを
棒で殴り殺そうとした理由

 向こうが殺すつもりはなく、ただ戯れて遊んでいるだけなのに、人間にとっては致命傷になるというのは、いかにクマが危険な動物かを表しているようにも思う。ムツゴロウさんは、こうした危険を承知した上で、「(離乳期から育てることができれば)ヒグマといえども友だちになれるだろう」と考えて、無人島でヒグマを飼うことにしたのだった。

 果たして、ヒグマの子どもを育てるというのは、動物研究家のムツゴロウさんといえども、やはり命懸けだったようだ。

 一緒にいて、おならをすると、まず耳を立てて、それからにおいを嗅ぎにやってきて、鼻を引くつかせた後で、おしりをガブリと噛むのだという。ヒグマはふんのにおいに敏感らしく、ムツゴロウさんにとってトイレの時間が一番危険な時間なのだという。

 さらには、ヒグマは戯れているつもりで鼻を噛んでくるのだ。気分にもムラがあり、自分より弱いと判断したムツゴロウさんの妻や娘のいうことを全く聞かない。

 そんな毎日のイライラがついにピークに達してしまったムツゴロウさんは、娘として育てると誓ったヒグマを棒でぶん殴って殺そうとしてしまう。

「僕の腹ワタは煮えくり返り、胸に熱い怒りが込み上げてきた。もうこれまでだ。僕は左手で持っていた鎖を手放し、両手で棒を引きむしると、ありったけの力を込めて棒を振り下ろしていた。ガツン。鈍い音がした。渾身の力をこめて振り下ろした棒は、どんべえの右腕に食い込んだ。―――死ね! 隠さず正直に書こう。その時の僕の怒りは、どんべえ(子ヒグマのメスのこと)をぶち殺しかねないものだった。手をかけて愛育しておきながら、棒には愛などひとかけらもこめられていなかった」

 激しいムツゴロウさんの怒りをぶちまけられたヒグマの子だったが、幸いにして命に別状はなく、また怒りの甲斐があって、ヒグマはムツゴロウさんのいうことをきちんと聞くようになったのだという。「世界中の人に誇りたい気持ちだった」というムツゴロウさんは、ヒグマとの共存ができると確信したのだった。

 ムツゴロウさんのようにヒグマと命懸けで共存を図るならできなくもない。しかし、多くの人にとっては、そしてクマにとっても、やはりクマと人間とは、別々に生きていたほうが良さそうである。本書を読んで、ヒグマの生態が嫌というほどよく分かった。今はただ、ムツゴロウさんのご冥福を祈りたい。