実際にVision Proで実現されているレベルの処理や、それを支えるセンサー群のことを考えると、同等の機能性を「グラス」と呼べるほど薄く、軽く、スリムな製品に落とし込めるのは、できるとしても数年以上先のことだろう。従って、Vision Proは2~3年でARグラスにバトンタッチするような過渡期的な製品ではなく、それ自体がコンシューマー製品としてシリーズ化されて進化を続け、究極的にはVision Airとでも呼ぶべき普及モデルを目指すラインアップだと捉え直すことにした。
Proモデルが先行するのはアップルとして異例だが、Visionシリーズの場合には買いやすい価格で中途半端なものを出すよりも、現時点で考えうる、そして実装しうる機能を最大限に盛り込むことが、新たなプラットフォームに説得力を持たせる最良の選択肢だと判断したのだろう。
アップルが「AR」ではなく
「空間コンピューティング」と呼ぶ必然
Vision Proの紹介記事を見ていると、この製品をAR(拡張現実)/VR(仮想現実)ゴーグル、あるいはMR(複合現実)ゴーグル、XR([ニュアンスの異なる]拡張現実)ゴーグルなどの言葉で表現しているものが多い。かくいう筆者も、これまでまだ見ぬデバイスに言及する際には、それらの用語で説明してきた。
アップル自体は、どう捉えているのだろうか。ティム・クックCEOは、今回のキーノートの中で、1度だけ「ARプラットフォーム」という言葉を使った。しかし、その後の製品紹介の中ではARとは言わず、「空間コンピューティング」「空間コンピュータ」という言葉で置き換えられた。
その理由は、AR/VR/MR/XRは、あくまでテクノロジー寄りの用語であり、定義自体も曖昧でオーバーラップする部分もあるため、そのままでは一般コンシューマーに対して製品のイメージを伝えにくいからだ。例えば、ChatGPTをコンシューマー向けに説明する場合に「LLM(大規模言語モデル)」という技術用語ではなく「対話型AI」と言ったほうが分かりやすいのと同じである。あるいは、DolbyがAtmos、ソニーが360 Reality Audio、SennheiserがAMBEOというブランド名をつけている立体音響技術も、アップルは単に「空間オーディオ」と呼び、今では業界全体で用いられるようになった。
ただし、これまでアップルも特定のiOS/iPadOSアプリの機能説明にARという用語を使い、ティム・クック自身も「自社が目指すのは他者とのコミュニケーションを遮断しないARである」という趣旨の発言をしてきた。それは、実機がない段階で「空間コンピューティング」に言及しても、理解が得られにくいためと考えられる。
実際に、もしVision Proが持つ機能を実物なしに説明されても「机上の空論だ」と笑われただろう。Vision Proはそのレベルのことをやり遂げた製品であり、だからこそ満を持して「空間コンピュータ」と呼ぶことができたわけだ。
もちろん、これまで「空間コンピューティング」や「空間コンピュータ」という概念や呼び方を使わなかったことには、Vision Pro発表時のインパクトを高めるためのマーケティング的な判断もあっただろう。いずれにしても確かなのは、アップルがこれから「空間コンピューティング」を全面的に推進し、ARをありふれた、そして、あえて言及する必要のない存在にしていこうとしているということである。